諦めることしか知らない子ども/諦めることしか知らなかった大人

 

 

 美しい血色の瞳だ。

 喰世王はその瞳のまま、己に向かってくるものだけをただひたすらに排除し続けていた。その度にまた

血の幕がその体を覆う。幾重にそれを浴びても止まることなく剣を振るい続ける。刃に迷いも戸惑いもな

ければ、その切れ味を阻むものもない。さくり、さくり。びちゃり。幻を見ているかのように音も軽い。何の

音なのか分からなくなる。剣はその刃に触れる肉を役割以上の能力で切り捌いている。刃を撫でれば

するりと通る。水を切るかのようだ。水面に剣を振り下ろし、水がはねる。その勢いで被ってしまうのが赤

い水なだけ。

 ……しかしふとその中にある空虚さに気付いてしまった瞬間、一瞬でその瞳の色は安物のビー玉のよ

うな、そんなチープな印象を拭えなくなる。

 だがそれも身にまとう血のシャワーによって隠されていく。瞳はただ、死者の血色に染まる。その瞳が

宝石のような輝きをたとえ持っていたとしても、幾重にもその上に血を重ね塗れば同じことだ。

 何度も何度も上から塗り重ねられた赤。その赤色は人を引き付け、そして遠ざけるもの。

 その内に喰世王は向かってくる者だけでなく自ら動く獲物を求めてその剣を振り下ろし続ける。逃げ惑

うものどもを後ろから容赦なく。遂には喰世王の唇の端がいつの間にか上がっていた。奇妙なまでに歪

んでいた。

 動くモノが喰世王と彼以外にいなくなり、ようやく赤色の王はその腕を下ろした。

「もう、動かない?」

 もう一人の方を見ることなく、喰世王は詰まらなさそうに尋ねた。話しかけられた彼はびくりと体を震わ

せ、杖に触れているその指を動かそうとする。しかし指が握られることはない。

「もう駄目なの?」

 やはり地に伏している彼の方を見ることなく、喰世王はその漆黒の剣に絡む血をその辺りの死体の服

から破り取った布で拭っている。そんなところをしたところでその剣の色は変わりはしないのだが。切れ

味とて変わるのだろうか、死神の宿る魔剣であるのだから。

「おい、相棒。さっさと殺しちまえよ」

 2人しかいないはずの空間に3人目の声。王に宿る死神の声だ。からかう様なその声。

 ふと喰世王の注意が死神の声に向いた瞬間、彼はその唇にかすかに呪を乗せ走らせた。搾り出すよ

うに乗せた雷の光が目の前を飛ぶ。だが、身動きすることなく喰世王はそれを受け止めた。ばちりと何

かがはじける音。しかし喰世王は電撃によって少し縮れた髪の先を少しつまんでその先を見つめている

だけだった。その体には焦げ目すら残っていない。

「こんな魔力も弱っちいひょろい奴なんかに用でもあんのか?」

「無いよ」

 呆れたように言う死神の言葉を一言で切り捨て、喰世王は彼に背を向けた。振り返らずに言う。

「今はまだ、詰まらないね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何故」

 赤色に染まった森の奥で、この1年間ただひたすらに自問し続けたことをその本人に問う。眼前に構え

た杖はしっかり握り締め、その赤色の瞳からは目を逸らさない。

「何故我をあの時殺さなんだのだ」

 今もあの時と同じように周囲には肉塊に変わったモノたち、赤色に包まれる体、かの瞳は血で濡れて

いる。喰世王は眠りから覚めたばかりとは思えぬ動きで、向かってくるものを排除し続けている。

 ヨードが搾り出すように問うた声に、王はすっと振り向いた。その隙を突こうと飛び掛る者もいたが、そ

ちらには一瞥もくれずに軽く腕を動かした。そしてまた王を彩る色が深くなる。

「……その、眼。もう、一緒じゃないんだね」

 彼に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でポツリと呟いた。何といったのかよく聞こうと耳を澄ま

したヨードに、今度はきちんと聞こえるように多少大きめの声で王は答えた。

「あなたは、喰世王を殺せる?」

 そう言って、笑う。

「面白くなりそうだったからだよ」

 赤色に染められた笑みは何処までも冷たい。

 その奥に隠れる無機質の瞳を思い出して、ヨードは思わず震えた。

 たった1年ちょっとであったがそれは今までの人生よりもよっぽど密度の高いものだった。曖昧に生き

ていた40年とこれまでの1年には同じほどの、いや、それ以上の価値のある時であった。もう過去の自

分ではない。その時間は確かに自分の変化をもたらした。

 そう、恐れるな!

「ぬうううううう!」

 陣を敷き、魔力を込め、その力を解放する。地響きと共にその陣から溢れる力だけで、喰世王の周りに

いた兵が半数が逃げ、もう半数はそこから生まれた雷撃によって散っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西へと真っ直ぐ飛んでいくときにその者の姿を見たときが、始まりであったのかもしれない。

 後に喰世王と呼ばれるようになるその子どもは、眼下の景色を無感動に見下ろしていた。

 あのようなスピードでは地面に這うもの共などゴミにも等しく見えたのではないだろうか、しかしその赤

い瞳は確かに彼を見ていたのだ。点にも見える景色の中で、確かに地に立つ竜人の姿を捉えていたの

だ。

 その姿を見るのは本当は2回目であった。だがしかし子どもにとってはそれ以上に、その竜人の瞳に

引き寄せられたのだ。

 

 

 

 その眼は自分と同じ、諦めることしか知らない瞳。

 全てを諦め、全てに流され続けてきた運命の瞳。

 

 ああ、自分と同じ人だ。

 

 

 

 幼い頃からどこか諦めることしか知らなかった。ダネットが何をするにも少し後ろに控えながら伺うこと

しかしなかったし、レナ様の言い付けには全て従ってきた。里の皆といる時間は決して悪いものではな

かったと思うけれどぎこちなさが隠せなかった。きっとそれはその子どもに課せられる運命を知っていた

からだろう。子どもはその敏感な気配に気付いていたが、それでも何も言わずにそこに居続けた。何を

言われても口答えはしないし言うことには素直に答えたから、優しい子だね、とよく言われた。

 

 優しいって、でもそれは、自己を殺すことを覚えたってことじゃないの?

 優しい子でいてね、という言葉はつまり、自己を殺したまま過ごせということなの?

 

 そんな疑問すら口どころか態度にも出さない。それが仕方のないことだと諦めて過ごし続けて、でも。

 

 今のこの状態に不満なんて無いよ。

 だって、『仕方ない』んだから。

 

 

 

 3度目に出会ったとき、彼はしかし、どこか違う目をしていた。

 戯れに近くに置いておいたクピド族を、あの竜人族の男は助けに来たと言うのだ。

 あんな弱い力で。

 力を持つ喰世王のもとに。

 きっと自分と同じ瞳のままであったら彼は諦めて影で蹲っていたことだろう。そうでなかったとしても戦

場の隅で固まって動けなくなっていたことだろう。

 でも彼は、ほんの数日の間に瞳に宿す色が僅かながらだが変わっていた。

 

 ……だから喰世王は、見たくなったのだ。

 

 自分と同じ瞳をしている人が、もしかしたら変われるかもしれないという瞬間を。

 

 それは喰世王にとって、決して届かぬ希望の光なのだ。

 その光を、覗いてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 集まる魔力の本流は留まるところを知らない。今ヨードが操る力は、本人にこそ自覚は無いだろうが、

純粋な魔力だけで比べるならば喰世王に届く勢いだ。

「真理の雷よ、眼前のもの全てを穿ち討て……!」

 陣から溢れる魔力がビリビリと頬を撫でる。焦った声を上げるギグを無視して、喰世王は唇の端を上げ

た。

「面白く、なったね」

 期待通りだったよ、と生理的に悪寒を感じさせる歪んだ三日月形が浮かぶ口元。

「喰世王を倒してみせてよ」

 

 

 

 ――もしも諦めていなかったらどうなっていたのか、見せてよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20070427

 

 

⇒諦めることしか知らなかった2人の話。道は違おうともきっと2人は似たもの同士。そんな印象。

・・・でもこれ、「ヨードの話」というにはちょっとずれてるかもしれません。