地へと飛び立ち空をも越え

 

 

 あなたが見る空はどんな色をしていますか?

 

 

 

 そういえばリベアは直接空をその目で見たことがあるのは、里を出るまでは限りなく少なかったこと

を思い出した。

 ずっとあの閉じた洞窟の中にいたのだ。太陽の光を思いっきり浴びて、青空の下の草原を駆け回る、

だなどといった普通の子どもが辿るであろうその道筋を一切知らない。

 でもリベアはそれを何の疑問にも感じていなかった。当たり前だ、知らないものに焦がれる必要はな

いのだから。

 

 だけど、リベアは知ってしまった。

 

 初めて自由に空を見ることが出来たのは、彼と一緒だったとき。

 リベアにとっての「本当の空」の色は、ギグと共に見たあの風景。

 

 あの空の色はもう見えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 下から吹き上げられる風になびく髪が鼻をくすぐる。くすぐったいけれどリベアはそれで髪を掻き揚げた

りもしなかった。

 空を見上げた。始まりの地から見るその景色は、だからと言って他の場所から見る景色と変わりはし

なかった。少しは変わるものかと思ったが、どうせ一続きとなっている同じ地の上に立っているのだ。変

わるものでもないのだろう。

 敢えて言うならば、今日の空はすがすがしいほどに晴れ渡っていた。雲ひとつ無い。もし雲よりも上に

何かが居たとしてもその姿は隠れようが無いだろう。太陽は少し西側によっているが、頭上高くにある。

見上げても出来るだけ眩しくない様それには背を向けている。

 手を伸ばした。空いっぱいに高く右の腕を伸ばした。空に舞い上がってしまった風船を求める子どもの

ように、ちぎれそうになるまでその関節を伸ばす。その空の向こうにだってリベアの求めるものなど何も

ないのに。

 すっと足を動かすと、小石が押されてカランカランと音を立てながら崖の下へと落ちていった。その音

はしばらく続き、そしていつしか聞こえなくなる。小石が地に着いた音は聞こえなかった。じりり、じりりと

すり足気味に後ずさる。後、少し。

 あと少しで、彼に、会える。

 

 

 

 あれからいくつかの夜と空の下を越え、それでも約束を果たさずにいる彼。ダネットはかつてのような

元気さを見せてはくれないし、他のみんなだってリベアとダネットに対してどこかよそよそしい。それが

何に対する配慮かなど考えずとも分かる。

 世界が救われようとも、それは彼女らにとっての救いなどでは決して無い。

 リベアの空は、いつまで経っても色を失っている。

 ギグがいて、ダネットがどこか不機嫌で、そんな、そんな世界こそがリベアの全て。

 

 だから、呼びに行くのだ。

 寝起きがやけに悪いあの死神を。

 

 

 

 すれすれまでは本当にじっくりと下がっていたが、後が無くなってからは躊躇いは一切無い。崖すれ

すれに足をかけ、くっと力を入れる。

 体が傾ぐ。体全体で地上から解放される浮遊感に満たされながら、リベアは両の腕をいっぱいに伸ば

してその世界を感じようとした。世界を、そしてその空の景色を。

 

 手を伸ばした先に見えるのは空。その空の色はいつまで経っても晴れない。

 

 リベアは満たされない気持ちのまま、その空と決別した。

 地から離れ、そしてこの世界からも。崖の上から投げ出した体は空からも離れていく。

 

 求めて止まない空の色を瞼の裏に思い出しながら、全く違う色である今の空を拒否してリベアは目を

閉じようとした。

 

 

 

 瞼に映るのは、もう見ることが出来ない空の色。

 

 そして、―――銀色の、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銀色の、眩いばかりの、光―――!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 閉じかけた目を開く。

 太陽の光に目を細めながら確かめたその色は、確かに銀色。あの求めて止まない男の色。男が今空

に居る。空の向こうに確かに居る。

 

 

 

 ―――ギグ!

 

 

 

 声にならぬ声、心からの叫び。全てを投げ出してでも会いたいと思ったその人。

 ああ、今、ここに。自分は今この地を離れようとしているところで、彼はこの地に降り立って。

 

 

 

「――――!」

 

 

 

 ああ、彼がリベアを呼んでいる。どのように呼んでいるのかは分からない、名前を呼んでくれているの

かもしれないしいつものように相棒と呼んでくれているのかもしれない。どちらでも構わなかった。ただ、

ギグがそこに居てリベアのことを見ていてくれている、それだけで。

 

 

 

「―――ギ、グ―――」

 

 

 

 リベアは呼ぶ。彼の名を呼ぶ。

 地に落ちようとも手に入れようとした彼の名を呼ぶ。

 届かなくてもいい、と自分に言い聞かせながら、それでも呼ぶことを止めなかった。

 きっと届いているはずだ、と自分に言い聞かせながら、それでも忘れることは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空遥か上に突如姿を現したギグは、地深くに落ちようとしているリベアを認めた瞬間底に向かってそ

の体を弾丸よりも速く唸らせた。

 自由落下を続けるリベアを何とか掴もうと、速く、速く、体が燃え尽きそうなほどにその速度を上げる。

世界の法則を限りなく無視してそのスピードは出されていた。

 しかし世界の法則を無視し得たとしても、その体そのものは法則に則った反応しか返さない。空気の

抵抗は容赦なく彼の邪魔をし、空気摩擦は彼の体を熱していく。

 

 ほんの少しでも距離を縮めようと、ギグは手を伸ばす。

 リベアはそれに答えるように両手を捧げている。

 しかしその距離は遠い。どれだけ差を縮めようとも重力は容赦なくリベアを地へと誘う。

 

 届かない、手を必死に伸ばして更にギグがそのスピードを速めようとした時、ふと眼前に赤色。

 

 ほんの半瞬、遠かった手はその距離が無くなり、絡み合い、しっかりと掴まれていた。

 

 

 

「ギ、グ」

 

 

 

 ささやくように掛けられた声は確かにリベアのもの。

 気が付けば、落ちていくリベアを追っていた筈の体は、そのリベアによって抱きしめられていた。

 

 

 

「ギグ」

 

 

 

 彼の名を呼ぶ声。繰り返される呼び声。

 かつて一度、フィーヌを倒した後に眠りに付いたときのことがフラッシュバックされる。

 だが呆然としたのも一瞬。すぐに彼は彼に戻る。

 

「おい、相棒っ!」

「うん、何?」

 怒り顔でギグがリベアに詰め寄れば、彼女は満面の笑顔で問い返してくる。ギグはその顔に詰まり

ながらもやはり態度は変えず。

「ようやく帰って来たっていうのにだな、俺様がいない間にお前、何をしようと――」

「ギグを迎えにいこうと思ったんだ」

 怒りの表情を意にもせずリベアはもう一度、ギグ、と彼の体を強く抱きしめた。思わぬ突撃に空中に浮

かんでいる二人のバランスは僅かに崩れ、ギグはよろめいた。

「俺を迎えにだと?」

「だって、ギグが遅いから。だから、『上』に行って迎えにいこうと思ったんだ」

 淡々と言うリベアの表情は抱きしめられているギグからは見えない。しかし彼女は平然と言ってのけ

たのだ。

 

 ギグに会うために、リベアはその命を捨てようとしたのだ、と。

 

「お前は何考えてやがるんだ!」

「ギグが居なければ意味ない。この世界も、この魂も」

 ギグのために生まれてきたリベアの魂。

「私は、ギグがいて初めて、私でいられる」

「だからってお前――死ぬ気だったのか」

「大丈夫。ギグがここにいるじゃない。ギグがこのまま来なかったらきっとそのまま投身自殺になってた

だろうけど――」

 

 もう一度、もう二度と放さぬようにギグを抱きしめる。

 彼の肩から覗いた空の色は、先程までとは変わらなかったけれど、リベアの目に滲む涙が彼女の景

色を変えてくれた。

 

「ギグと一緒なら、空だって飛べるよ」

 

 リベアには、その空の意味は確かに違ったものになっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20070504

⇒要するに投身自殺がやりたかっただけかもしれない。