腕を伸ばして
後ろから大きな腕でぎゅっと抱きしめられて、ふわりとあたたかなお日様のにおいがした。
その腕にそっとしがみ付くと、それに答えるように腕は優しくダネットを包み込む。
後ろにいるその人は、彼女の耳元で囁くように唱える――子守唄。
それを聞くと、ダネットはどんな悪夢からも解放されるのだ。
――おとうさん。
そんな、夢を見た。ここ最近、毎日見る夢。
気が付けば机の上で突っ伏していた。どうやら勉強の最中に寝てしまったらしい。
「ダネット、ホタポタ焼きができたって」
「あ、はいっ。今行きます!」
ノックとともに扉の向こうから呼ぶ相棒の声に、寝起きなのを悟られないように元気よく返事をした。
「早くしないとギグに全部食べられちゃうよ」
「それは駄目ですっ!」
急いで扉を開けると、いつもと変わらぬ相棒の優しい笑顔。
「行こっか」
「急ぐのです」
そそくさとリベアの前に立ちいつものように彼を引っ張っていこうとする。びしっと前方を指刺しつつ進も
うとすると、後ろから遠慮がちに声がかかった。
「ね、ダネット」
「どうしたのです。急がないとあのホタポタ吸引機に全部食べられてしまうのですよ」
「ちゃんと寝てる?」
ストレートなその言葉にダネットはどきりと体を震わせた。
「な、そんな、どの口でそんなこと言うのですか」
「よだれついてるよ」
「え、嘘ですっ!?」
「うん、嘘」
反射的に口元を押さえたダネットを見て、リベアは苦笑した。
「机じゃなくて、ちゃんと横になって寝ないと。体壊すよ」
「う、うるさいのです。お前に心配されるいわれは無いのです」
「でも、心配だから」
平然とした顔で口にするリベアに、ダネットは一瞬顔を赤くさせながら、しかしすぐに振り払い、
「うるさいですねっ……どこの小姑ですか!」
びしりと指を突きつけて言い放った。どこかで雷が落ちたような音がしたような気がする。
「……こ、こじゅうと……」
固まり果てたリベアを見て、ダネットはしまったか、と思いながら言い直す。
「あ、えっと、じゃあ……頑固親父?」
「……はあ」
「んで落ち込んでるっていうんかよ。ばっかじゃねー?」
一刀両断、残酷無慈悲に言い渡されたその判決に、リベアは哀愁漂わせた背中で無言の肯定。
「しっかしお前も進歩ねえな。いや、お前ら、か」
「だってギグ」
何とか反論をしようと振り返ったはいいが、リベアはそのまま口ごもる。
「……わからないんだ」
「何が」
「この感情が『異性』に対するものなのか、それとも『娘』に対するものなのか」
「『むすめ』だあ?」
斜め下視界外からノックアウトを食らった気持ちでギグは思わず身を乗り出した。
「言うに事欠いて『娘』だと?『妹』とかそういうレベルを超えてか?」
これだから人間は分からない、いや、リベアとて人間ではなかったか。
「この感情はもしかしたら、緋涙晶だったダネットのお父さんの感情に流されてるだけなんじゃないか
な、とか」
リベアはギグだけでなく、緋涙晶であったダネットの父親とも融合していたのだ。
ならば、ギグと同じように、彼女の父親――モーズレイとの魂の融合が進んでいたとしてもおかしくな
い。
「難しいこと考えやがるなあ、お前は」
「それをダネットに話したらね」
(アホかこいつ。素直に話しやがって)
呆れたようにため息をつくギグの内心を知ってか知らずか、リベアは何でもないように話を続ける。
「『お前に心配されるいわれは無いのです。私はちゃんと一人前になったのですから!』って怒ってどっ
か行っちゃった」
「アホか」
今度はちゃんと口に出したその言葉に、きょとんとした表情を見せるリベア。
「そんなもん全部ほっぽっといて、寝てるところ押し倒しちまえばいいんじゃねえのかよ。そうしたいって
思えりゃそれで充分じゃねえか?」
ギグの乱暴な言葉に数秒固まり、リベアはしかし次の瞬間微笑んだ。
「そうだね。そうする」
(……待て、ここは突っ込むところじゃねえのか)
くるりと後ろを向いて立ち去ったリベアに、ギグはため息をひとつ。
「ま、ホタポタ焼き全部食っちまってたことに文句言いに来たこと忘れてくれてんのはありがたいけどな」
全く、こんなに寂しい気持ちになったのは久しぶりなのです。
それもこれも全部、あいつが変なことを言い出すからいけないのです。
こんなに気弱ではいけません。
私は、父親の遺志を継いで、立派な司祭になると決意しました。
私はもう、子どもではありません。
私はもう、大人なのです。
だから、そう、……
父親の影にいつまでも引きづられていては、いけないのです。
あいつは甘すぎます。
私をいつも甘やかす。
だから、駄目なのです。私は駄目になってしまいます。
大体今日も変なことを……、
ママとはずっと一緒でした。
レナ様……ベルビウス様が、私の母親代わりでした。
でも、私は今、パパのことをとても恋しく感じます。
最近はパパの夢をよく見るようになってしまいました。
後ろからぎゅっと抱きしめられるだけで、顔も見えない、でもとてもあたたかい夢。
どうしてなのです?
私はもう、……
……どうしてここであいつの顔が出てくるのでしょうか。
あいつは、……
あいつは、私の幼馴染で、パートナーで、そして、
そして……
夜の静寂の中、すうっと静かに扉が開かれる音がした。
久しぶりに早くに寝床に入っていたのだが全く眠れなかったダネットは、僅かに身を硬くした。
(……って、お前ですか……)
ダネットにはその足音だけでリベアだということが分かる。彼はゆっくりと、慎重に、ダネットの方へと
歩を進めていく。
(全く、ノックも無しになんて珍しいですね……、)
そういえば、様子を伺うようにノックをするようになったのはいつだっただろう。
部屋の入るのにいちいちおとないをたてるようになったのはいつだっただろう。
昔は、そう、何の遠慮も無しにお互いの部屋に潜り込んでは、一緒になって眠ったというのに。
リベアはダネットが寝ていると思っているのか、何も言わずに静かに近づいてくる。
(変な歩き方ですね。いつものお前じゃないです……何だか……うーん、変)
ダネットも何となく声を掛けられぬままだ。眉をひそめて考えていると、足音が止まった。
そして、間。
すっと伸びる腕、あっと思う間もなく包まれるあたたかな感覚。
寝ているダネットをリベアは後ろからそっと優しく抱きしめた。
ダネットに伝わる彼の鼓動、暖かなお日様のにおい。
(――あ、この感覚は――)
「よく、眠れますように」
リベアはダネットの耳元でそっと呟いて、そしてすうと息を吸い込んだ。
(ああ、そっか、あの夢は――)
「フォーメェラ、リーソァミオ……」
眠れ、眠れ。優しい夢を見れますように。
そう、そうだった。どうして今まで忘れていたの。
眠れなくて一人で泣いていたときに、リベアはそっとダネットの部屋に来て、よく子守唄を歌ってくれ
た。
「ファスニーラ、シーフォミオ」
震える体をそっと抱きしめて、一緒におまじないを唱えては、怖い怖い夜を優しい闇に変えてくれた。
「フィーメァロ、サーマレー、ソァフェナー」
「フィーメァロ、サーマレー、ソァフェナー」
ダネットが恋しいのは、父親じゃなくて、そう――
昔から、ずっとダネットの傍にいてくれる人。
おまけ。
「『寝てるところ押し倒す』って、そーゆー意味で言ったんじゃなかったんだがよ」
「そうなの?」(きょとん)
「……もういいぜ。お前に言った俺が馬鹿だった」
20070507
⇒甘いのはこれが限界かもしれません……(駄目へたれっこ
つまり「父親を恋しいと思うなんて。早く独り立ちしなきゃいけないのに!」(本当は勘違い)と焦ってるダネットと、その辺マイペースなリベアさんなのでした。男主人公は私の中ではほんわか系らしい。