言葉にできない

 

 

 言葉っていうのは人の精神を形成する上でとても重要なファクター。

 言葉によって思考し、言葉によってコミュニケーションをとり、言葉によって学ぶ。

 

 ――だから幼い頃の私は、その言葉の違和感を違和感のままに過ごしていた。

 

 

 

 どんな世界から見ても夜の姿は同じだということに、どこか感慨深いものを感じた。

 会話の最後に彼が冗談か本気か口にした言葉を実際にお願いしたところ、焦ったように怒鳴ってそれ

から口をきいてくれなくなった。

 仕方ないなあ、と呟いて、自分でおまじないを唱え始める。

「フォーメェラ、リーソァミオ……」

「相棒、お前さー……」

「何?」

 どこか歯切れ悪く尋ねてくるギグに、リベアは首を捻った。

「なんでその歌、こっちの言葉じゃなくてあっちの言葉で歌ってんだ?」

 通常の会話では全く彼女は使わない言葉だ。

「この言葉で覚えてるから」

 でも、とどこか遠くを見ながらリベアは話し始めた。

「ダネットが8歳くらいのときかな」

 リベアが、ではなく、ダネットが、と言うところに、彼女の壁を感じる。

「全く喋れなくなったときがあったんだ」

 

 

 

――フォーメェラ…リーソァミオ……

 

 繰り返し唱えるおまじない。ダネットと一緒になって横になり、彼女の枕元であやす様に歌う。

 悪夢を繰り返しよく見ているダネットは、その歌を聞くと落ち着いて眠ることができる。だからリベアは

彼女が眠るまで歌い続ける。そして、彼女が眠ってからも歌い続ける。

 何度歌ってもすぐにダネットは歌の歌詞を忘れてしまうけれど、それでもリベアが歌い出せば一緒に

なって旋律をなぞり、そして聞き覚えのままに一緒に唱える。

「やさしい歌……」

 まどろみに落ちる寸前、ダネットが呟いた。

「これって……どこの言葉なんでしょう。どういう……いみ、なんでしょう?」

 その何気ない言葉で、リベアの世界は変わった。

 

 だって彼女にとって、あの『言葉』は当たり前のもので、『意味が分からない』訳がなかった。

 魂に刻まれた言葉は、心に直接語りかけてくるもので、意味を捉えようとする必要もなかった。

 翻訳の必要すらない。

 リベアにとってあの言葉は魂の言葉だった。

 

 だけど、それが『自分たちが使う言葉ではない』と言われた瞬間。

 リベアは言葉を語ることができなくなった。

 

 

 

「結構辛かったよ」

 自分が頭の中で思考しているその言語すら、自分自身でよく分からなかった。

 ハーフニィス界の言葉で思考しているのか、神の世界の言葉で思考しているのか。それすらも自身の

中で区別できない状態だった。

「私は何を言葉としているのか、って」

「変なとこで悩んでんだな。面倒くせぇ」

「そうだね」

 ――でも、世界に降り立ったばかりの頃の私は、そんなことも分からなかったんだ。

 例え『世界を喰らう者』だとしても、やはりそのときは世界の新参者。

「だがよ、今はちゃんと喋れてるってーことは、その悩みもどっかいっちまった訳だろ?」

「うん。しばらくして、やっぱりダネットと一緒に寝てたときにね」

 

 

 

「おまえ、今日はわたしがまどの近くでねるのです」

「……」

 こくり、と頷いて枕を扉側の布団に持っていく。ダネットがぴょんとベッドにダイブして、少しだけ埃が

たった。

「今日もだめでしたね。まあ明日があるのです」

 ぽんぽん、と大げさに肩を叩くダネットに、リベアは薄く微笑んで見せた。

 声がでないことを、彼女は彼女なりに心配してくれているのだ。そう思うと何だか申し訳ない気分にも

なる。

「明日はもんばんのもりびとさんとそのこいびとさんが、いっしょにおりょうりをしよう、って」

「……」

「わたしはケーキが食べたいです!」

「……」

「おまえがつくったケーキはおいしいのです」

   リアフォーラ――

        ―――ありがとう

 ありがとう、そう言いたいのに声が出せない。

「・・・あ・・・」

 言いかけて、止まった。どうして。

「むりすることないですよ。明日がんばればいいのです」

「……」

 ダネットの言葉に甘えているような気がして、寂しくなる。

「じゃあまた明日です。おやすみです」

 そう言って部屋の明かりを消した。訪れる静寂。

 ――このまま、世界に言葉がなくなってしまえばいいのに。

 不意にそう思った自分を、リベアは悲しく思った。

 そんなことは考えたくない、と目を閉じると、隣からぽつぽつと声が聞こえる。

 耳を澄ますと、それは旋律だった。

「…らーららー、らーらららー…」

 所々詰まりながら、ダネットが旋律をなぞっている。

 あの、懐かしい旋律を。

「ええと……ふぉーめーら……りーそみおー……」

 ダネットは必死になって、あの言葉を探している。

 思わず彼女のほうに体を向けると、ダネットも同じように向かって、リベアに微笑んだ。

「よくねむれるおまじない、ですよね」

「……」

「おまえがしゃべれないなら、わたしが歌えばいいのです」

 そうしてまた、額に皺を寄せながら必死に言葉を紡いでいく。

「ふぁーすにーらー……しーほーみーおー……?」

「……」

 少しだけ、懐かしい気持ちになって、そして目を閉じた。

 ダネットの言葉はあたたかい。昔いた場所のように。

 でも、そうして心の中に満たされるものは、この世界のもの。

「……ね、むれ、かえりしこ……」

「ふえ?」

 

 ねむれ 帰りし子

 安らかに 愛しき子

 芽吹く朝まで 腕に……

 

 

 

「んで、声がでるようになった訳か?」

「うん」

「よく分かんねえな。たかがそんなことで」

「答えはすごく簡単だったんだ」

 

 ――私はここにいて、そしてダネットと一緒にあの歌を共有したかったから。

 

 とても単純な気持ち。

 

 

 

「ねえ、ギグ」

「あん?」

「ありがとう」

 私はその単純な気持ちで救われる。

 とても簡単な答え。

 

――……お前はお前だろーがよ。

 

 だから私は、自分を見失うことなく今もここにいることができる。

 

 リベアがここにいて、そしてあの場所にいたことも。

 魂は忘れていない。忘れない。

 

 

 

 

 

 

自己を見失っても、幼い頃はダネットに救われ、今(ガジル界突入直後くらい)はギグに救われたってことで。
普通のバイリンガルとは違って、リベアの場合は周りにその言語を話す人がひとりもいない(レナ様は普通話さないだろう)訳だし、周囲と違うということに気付いたときは混乱すると思う。
2007/03/20