《陽だまりの時間》
傭兵隊の砦にて。本日の食堂もしくは酒場には嵐が到来していた。
「メシ―――――――――――――――――――!!!!!!」
「メシが食いてえ―――――――――――――――――!!!!!!」
何ということでしょう。本日、カウンターにいるはずのレオナさんはちょっとお出かけしていたのです。
女気の少ないこの砦において、それはすなわち食料配給要員がいないに等しいことだった。他の女性はみな自
分の仕事で忙しいと相手にしてくれない。
何と言ってもまだお昼前で、昼食には早く朝食には遅すぎる時間帯。もう少しすれば女性陣も仕事に一段落つけ
て食事に入るのだろうが、猛獣と化した数名の男供はそんなの待ってはいられないのでした。
自分で作れ、が女性陣の言い分だった。ごもっともだが、戦闘馬鹿のこいつらにそんな芸当が出来るはずがな
い。これに懲りたら少しは料理を覚えるといいのに、きっと今後も懲りることはないだろう。学習能力のない。
野獣の遠吠えもとい騒ぎを聞きつけて階下から顔を覗かせたのは、能面をつけたような顔を崩さないハイランド少
年兵の捕虜と、その保護者代わりの少年だった。
「何だよ―――この騒ぎは?」
「……?」
よく見ると彼らの手には食料が入った箱が積まれていた。おそらくバーバラから渡されたものだろう。
ポールの当然の疑問に答えたのは、野獣の叫びの一員に入っていたゲンゲン隊長だった。
「レオナがいない。だからご飯が食べれない!」
「あーつまり、腹が減って皆してへばってると」
「それは違う。コボルトの勇敢な兵士はそんなことでへばったりしない!ただ力尽きただけだ!」
一緒だろ、というツッコミをしてくれる親切かつ気の利いた人間は誰もいなかった。
「メシ――――」
「メシ〜〜〜〜」
「ご飯が食べたいよ〜〜〜〜」
「お腹が減って、腕が動かないんです……」
呻き声にも張りがなくなってきた。レオナ一人いないだけでこの有様では、この砦を落とそうと思ったら彼女を誘拐
してくればそれだけで事足りることだろう。ルカ・ブライト直々にやってくる必要など微塵もない。
どんよりと重い空気になってきたのには、ポールも突っ込みし切れないようだった。この空気を一気にかえたの
は、隣で静かに佇んでいた捕虜の少年で……
「……調理場」
「へ?何だいヤナギ」
「どこ」
「え、調理場の場所?そんなのどうして……」
時同じくして、砦の二階にある作戦室には二人の男が顔をつきあわせて溜めに溜め込んだ書類に向き合ってい
た。溜め込みすぎでアナベルからお叱りを受けてしまい、後がない。二人は、それはもう必死でがんばっていた。
「思ったんだがな」
「ビクトール、余計なことで口を動かす前に手を動かせ」
冷めた、もしくは空ろな目をしてフリックは目の前の男に冷たい言葉を返した。しかしビクトールはそれをものとも
せず言葉を続けた。
「ヤナギのことなんだが」
「ヤナギ?そういえば、仕事よくやってるって話だ。ポールがあいつのこと相当気に入ってたようだぞ」
「それは俺も聞いてる。だが、あいつは俺たちを恨んでるんだろうなって話だ」
「まあ確かに国同士では敵ではあるんだが……でもあいつ大人しいじゃないか。問題でもあるのか?」
「あいつ、たまに突き刺すような視線を向けてくる」
忙しいくせに二人の手は止まっていた。
「あいつがもう一人の方の後を追おうとしたのを止めたとき、同じような目で睨まれた。きっと根に持ってるな、あれ
は」
「……それは」
もう一人は無事なんだろうか、とフリックは眉を寄せた。周辺の捜索をまだ少しだが続けさせてこそいるが、おそら
くはかなりの下流域にまで流されてしまったのだろう。そうなってはこちらからの探しようがなくなってしまう。
ビクトールの耳に残って離れないのは、ヤナギの悲痛な呼び声だった。彼は無口で声を荒げることも全くないの
に、ただ一度だけ聞いた搾り出すように必死な叫び声。
『ジョウイ……!……ジョウイ……ジョウイ!?』
きっと彼は力さえ残っていたら二人を張り倒してでも友人を追おうとしただろう。そして事実残っていないにもかか
わらず二人を振り切ろうとしていた。それは軽く押さえたのだが。
「敵とかそういうの云々じゃないのか……」
書類が散乱する部屋の中で、戦争を生業とする二人はため息をついた。
ビクトールとフリックが書類仕事を片付けて、否、アナベルからのお叱り覚悟で「片付けた」ことにして広間に下り
ていくと、食堂のほうが時間帯に比べて騒がしいことに気がついた。
まだ昼食には早い。しかしそこから漂うのはまさしく美味しそうな食事の香り。訓練に疲れた兵士たちがちょっと早
めの昼食にしているのかと思ったが、レオナは出かけていることを思い出して二人は首を傾げた。
「これ、何だ……?」
「美味そうな匂いじゃねえか」
「あ、ボスー!ちょっとこっち来て下さいよー。すごいってこれ」
「ポール?何だこの騒ぎは」
「フリック来い!ゲンゲン隊長がこれ食べること許してやる!」
溢れんばかりに食堂に押し寄せた人々の中を分け入って、ビクトールたちは奥のテーブルにいるポールとゲンゲ
ンのもとへと辿り着いた。差し出されたのは、
「……何だ?これ酢豚か」
「こっちは野菜炒めだな」
「他にもあるぞ!」
「他にもありますよ!」
言われてテーブルの上を見れば、そこにも美味しそうな食事が大量に並んでいる。傾向としては中華が多めだ
が、しかしオムライスなんかも並んでいたりして種類に節操がない。
食え、と差し出された皿を抱え、二人は眉を寄せた。誰がこれを作ったのか?
だが美味しそうな匂いに釣られてまずビクトールが一口酢豚を口にした。
「お、これうめえぞ!」
「そうなのか?……どれどれ……お、本当だ」
「でしょう!?」
「だろ!?」
作った訳でもなかろうに、ポールとゲンゲンはまるで自分のことのように胸をはった。ビクトールたちが夢中になっ
て食べていると、奥の調理場から濡れた手を拭きつつゆっくりと少年が現れた。
「あ、ヤナギお疲れー」
「美味しいぞ、さすがゲンゲン隊長の子分だ!」
「「ヤナギ!?」」
労いの言葉を掛けられながら出てきた少年は紛れもなく捕虜にした少年だった。ヤナギは僅かに疲れたような表
情で、それでも美味しいと声を掛けられてまんざらでもない顔をしていた。
「これ、ヤナギが作ったのか……全部?」
恐る恐るといったようにフリックが訊ねると、ヤナギは無言で首肯した。
「そうなんですよ。ほんっとすっごいんです、ヤナギ。一人でこれ全部作ったんですよ!しかもめちゃくちゃ美味いと
きた!!」
ヤナギがぽつりと「作る。簡単なもの」と言った瞬間、食堂に神が降臨したかのようだったとある傭兵は語る。しか
も『簡単なもの』で終わっていない。
「ヤナギ、お前意外な特技持ってるな……」
「……特技、違う。生活手段」
ビクトールが感心したように呟くとヤナギは僅かに眉をひそめ、褒めたはずなのに予想外の反応が返ってきた。ど
ういうことか訊ねようと思ったが、彼は話さなさそうだと思って聞くのをやめた。後に嫌と言うほどその意味を知ること
になる。
そんなことを考えている間に、ヤナギはフリックの方へと向いた。
「……味」
「ん、味か?美味いぞ本当に。すごいなヤナギ」
問われたフリックはピラフを頬張りながら満足そうに返した。それを見てヤナギは口元をほころばせた。
「そう……ありがとう。お礼、出来た」
「……え?」
ビクトールとフリックが目を丸くしているうちに、ヤナギは空になった皿を持ってさっさと調理場へと戻っていってし
まった。
後日談。
傭兵隊の砦に幼馴染三人組が終結した後、再びレオナ不在にて野獣の叫びが響き渡った日があった。そこを通
りかかったはナナミ嬢。
「え〜、お腹すいてるの?だったら私にお任せだよ!ちゃっちゃと作っちゃうから!」
哀れ、その時ヤナギとジョウイは外で別のお手伝いをしていたために、彼女の暴走を止めることは出来ず。
その場にいた傭兵たちは、「あの」ヤナギの姉なのだからきっと美味い料理が食えるに違いないと胸躍らせて出
来上がる料理を待っていた。
傭兵隊の砦に響き渡る惨劇の悲鳴とともに、それ以降、無骨な手ながら料理を覚えようという傭兵が急増したと
かしないとか。
⇒ヤナギ「ジョウイを追うのを止めたことに対して感情は許さない。でも二人は自分を助けてくれた。だから感謝している」彼の不器用ながらも精一杯のお礼。