《帰るべき場所》

 

 

 待っている人がいるから。

 僕は帰ってきた。

 

 

 

 

 

 

 橋の上に不安定のように見えながらも計算された安定を保っている街があった。最後に来た時よりも更に建物は

増えていて、ここは本当に橋の上なのか疑わしくなってしまう。

 過去にはどこか閑散とした空気が漂っていた場所だったのが、生命力に満ち溢れている。

 街を見回しながら、気がつくと口元がほころんでいた。しかしその目元はまるで熱望する崖の向こうを見つめてい

るにも等しく。そんな自分の表情が不自然なものであると気が付くと、すっと姿勢を正した。

 町の人に尋ねると、目的地は意外に早く見つかった。彼は格別隠遁しているわけでもなく、更にちょうど最近帰っ

てきていたところだったらしい。運がよかった。旅に出られていればいつ帰ってくるか全く分からないのだ。

 ある小さな家のドアに向かってノックした。何故か誰何の声は無く、すぐに入るように促された。

「久しいの、キリル」

「……お久しぶりです。シメオンさん」

「散らかっていてすまんな」

 家の主シメオンはいきなり訪ねたキリルをどうということも無く椅子を勧めた。だが彼が座っているもの以外で残っ

ている椅子にはすべて本が積まれていた。足の踏み場も無い、という言葉がそのまま当てはまる。

 キリルは躊躇した後に一番本が少なかった椅子からそれらをどかして机の上に移動させ(とはいっても机の上す

らすでに置き場は無かったのだが)、埃がたまっていることに気がついたがそれはあきらめて、そこにようやく腰をお

ろした。

「私もほんの数日前に帰ってきたのでな……埃がどうにもならんの。この歳になると片すのも面倒でな」

 外見からは考えられない台詞をさらりとはいてシメオンは立ち上がった。机上の本の山を崩し(それは正に「崩

す」。本がどさどさと落ちていくのをキリルは目の当たりにした)、彼は白い封筒を発掘した。それをキリルに示し、

「コルセリアのお嬢ちゃんからお主に関して手紙が来ておってな」

「……」

「私に何の用かな?」

 平然と問い掛けてくるシメオンだったが、彼はキリルが訪ねてきた理由がわかっているのだろう。

 キリルは脇に置いていた袋から二つの品を取り出した。

「……ほう、よく見つけてきたの。私がお主に頼んだときも相当苦労したと思ったが」

「何とか見つけてきたんだ」

 取り出した品とシメオンに渡して、しかしキリルは次の言葉を出せなかった。キリルを一瞥した後に渡された品を

見回して、シメオンは感嘆の声をあげた。

「確かに『アルジェの人形』と『干からびた腕』……しかも以前のものより質がよいぞ」

「……」

「これならば僅かであれど異界の門を開くことも可能だろう」

「……できる?」

「もちろんだ」

 シメオンは自信たっぷりに言い切った。

「それでキリルよ。お主は今すぐ発つことを望むか?」

「……それは」

 すでに先を読まれている。彼はキリルの悩んでいることすらも分かっているのではなかろうか。

「考えてるんだ」

「ほう」

「父さんやヨーンと、僕は袂を分かってしまったのに。僕は待っている人たちの元に帰ってきたのに。……でも」

「でも?」

「いつか、僕を待っていてくれる人はいなくなってしまうんじゃないかって。僕の居場所は、なくなってしまうんじゃな

いかって」

 キリルは自分の手を見つめた。その姿は何年も前とほとんど変わっていない。かつて紋章砲を追っていた頃の

姿、少年を抜け切れない青年の姿のままだった。

「アンダルクも、セネカも、……コルセリアも、みんな……」

「それでお主を受け入れてくれるもののいるところへと行くか?」

「……分からない」

 キリルには分からなかった。ただ、そこにいるだけの生活が怖かった。だからあの場所から離れてみた。とにかく

先の見える何かが欲しかったから、彼は『アルジェの人形』と『干からびた腕』を探した。

 探して、見つかって……そして、その先は?

「……長く生きることができるということは、考える時間がそれだけ多いということだ」

 沈黙をシメオンの淡々とした言葉が破った。

「人よりも考えることが多い分、それだけ時間も多く用意されている」

「……どういうこと?」

「お主が求めているものは逃げはせん。少なくとも、あの世界は」

「うん」

「答えを急ぐ必要も無かろう。私もお主から逃げることはない。求めるならばいつでも門は開こう」

 キリルは目を閉じてその言葉にただ耳を傾けていた。

 

 

 

 

 

 

 待っている人はまだいる。

 帰る場所はひとつじゃない。

 

 選ぶのは僕だ。

 悲しませるのも僕だ。

 考えるのだって、僕だ。

 

 

 

 

 

 

「ただのう……手紙でお嬢ちゃんが相当心配しておったぞ?」

「う……」

「一度、戻ってみるといい。まだきちんと決めたわけでもあるまいに」

「……考えるよ……」

 

 

 

 

 

 

 さよならは、まだ先でもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⇒個人的には、あの時自らこの世界に残ることを選択したんだしキリルには残っていてほしいけど、こういう選択肢もあるということで。……5に出てきてほしかったけど、開発状況を考えるとどう考えても無理だったようですね。

 ちなみに。シメオンさんはきっと片づけが苦手だと思う(笑