《差し伸べられた手》

 

 

 

 差し出された手を拒むことはできない。

 だって、そうしたらすべてを手放すことに等しいから。

 

 差し出された手を受け入れることはできない。

 だって、そうしたらすべてを壊してしまうから。

 

 

 

 

 

 

 巨大船はいわれている通りに広大すぎて、それこそ人の目が行き届かないようなところが山ほどある。妙な部屋が出現してしまうのもなんとなく納得してしまった程に。また、どれだけ分担しても掃除は隅々まで行き届かない。人があまりいないところなど埃がたまっている。

修理を行うにも一苦労だ。壊れていたり傷んでいたりするところは人々が気を配り常に報告することで対処しているが、追いつくものでもないし何より気がつかないようなところだってある。

 だから、今回はそういった事情があった訳だ。

「……大丈夫か?」

「……大丈夫に見えるか?」

 第五甲板人通りの少ない隅っこのほうで、シエルはかがみこんである一点を覗いていた。そこには穴。深々と穴があいていた。傷んでいた板がついに限界を迎えたらしい。

 その下ではどこか悟ったような表情をした少年が、ひっくり返っていた。

「テッドさん、一人で上がってこれる?」

 どこか楽しそうに問い掛けてきた声には答えず、テッドは脱出を試みようと立ち上がった。

 その穴はかなり深かった。立ち上がっても地上は見えない。手をかけようと穴の淵に手を伸ばしても、何とか指先が届くだけで力を入れられなかった。どれだけ深いんだこれは。

 眉を寄せてため息をつくと、テッドの目の前にすっと手が差し出された。

「つかまって」

 シエルが右手を差し出していた。テッドが目線をあげて目が合うと、彼は楽しそうに微笑んだ。

「一人じゃ、のぼれないでしょう?」

「……いい」

 その手を無視して、再び脱出を試みる。しかし状況が好転しているわけではないので結果は同じに終わった。テッドが苛立ちながら舌打ちをすると、上から声がかかった。

「無理しないほうがいいよ」

「うるさい。一人で何とかなる。お前はとっととどこかに行け」

「何とかなってないよ」

「お前がいるからだ」

 訳のわからない理由だ。テッドは自分で言っていてアホらしいと思った。

 だが、彼の差し伸べる手を取る気にはどうしてもなれなかった。

「ああ、そうか……」

 むすっとしたまま黙っていると、シエルはふと手を引っ込めた。あきらめてくれたかと思ったら、そうではなく。

「じゃあ左手は?」

 何が「じゃあ」だ。

 今度はテッドの目の前にシエルの左手が現れた。

「いいから行けよ」

「このままその穴の中で暮らす?別に俺は構わないけど。一日三食くらいは運んであげるよ」

「誰が」

「やっぱりそれは嫌か。じゃあ早く上がってきなよ……ほら」

 そう言ってシエルは更に左手を伸ばした。

「……うるさい」

 テッドがその手をとることはできなかった。顔を背けて拒絶の意を示す。

 自分は、その手をとってはいけないのだ。

 一人で何でも何とかしなければならないのだ。

「……ロープでもとってくる?」

「いい」

「誰か他の人を呼ぶ……は嫌か」

「分かってるじゃないか」

「……それじゃあ」

 目の前の左手に加えて、もう一本がつけくわれられた。テッドの前には差し出された彼の両手が。

「両手。おあいこで」

 顔をあげると、やわらかく微笑んだシエルの顔があった。微笑んでいるはずなのに、その顔は悲しげだった。

「……おあいこ……?」

 何をいっているのか分からず、一瞬戸惑った。

「どうやっても避けられないなら、痛み分けで」

 ああ、とテッドは思った。

 

 俺の右手には、魂食いが。

 あいつの左手には、罰が。

 

 合い交わらないその二つ。

 

「早く。時間の無駄だよ。どうせ一人じゃ上がれないだろう?」

 シエルはやっぱり微笑んでいた。だけど、その心の中で何を考えているのだろうか。ただ、甘えてはいけないと自分に言い聞かせたかった。自分の右手を触れられるのも嫌だった。

でも、あいつの左手を拒絶したわけではなかったのに。

 

 テッドは考えていた。

 

 

 

 

 

 

「トープさんに言っておかなきゃな。もう少し船内点検も強化したほうがよさそうだし……今回はテッドさんだったからよかったけど。

「……どういうことだよ」

 ようやく明るいところにでてきたテッドに、シエルは軽い言葉を浴びせた。

「でも、やっぱり危ないよな。テッドさんでもこうなっちゃったんだし」

「やけに絡むな、お前」

「俺、今おくすりも持ってないし、水の紋章もつけてないし」

「……」

 気付いていた。穴に落ちたときに軽くだが足をひねっていたのだ。そうでなければ軽く跳躍してあれくらいの穴ならのぼることはできた。だからシエルも「無理」と言いきっていたのか。

 テッドでは普段ありえない失態だった。この船にいると、どうにも気が緩んでしまうようだ。

「医務室行こうか?肩貸すよ」

「……いい」

「足を悪くしたら、その後ずっと困るよ」

「……いい……」

「一発殴って気絶させてあげようか?」

「……一人で行くから」

 

 

 

 

 

 

 テッドはそそくさとシエルの前から離れた。

 これ以上甘えてはいけないと思った。

 

 

 久しぶりに自分から人の手に触れたときの、あのあたたかさは、また求めてしまいそうで怖かったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⇒冒頭はシエルとテッドの違いについて。結構昔に書いたものだからキャラが定まっていない上にちょっと拙い。確か幻水初小説がこれだったかと。

『傷んでいた板』ってギャグじゃないですよ。