始まりを告げる鐘の音

 

 

 

 深く響いてくる、低い鐘の音が、冷たい空気に乗って届く。

 順平はマフラーをぎゅっとしめて一歩寮の外に出た。はあ、と吐いた白い息を目にして、自分がため息をついたことに気付く。

「……彼らは、どうしたんだろうな」

 美鶴がどこか遠くを見ながらポツリと口にした。後ろに続くメンバーも口にこそしないが思いは同じことを考えているのだろう。

 綾時が出て行ってすぐに、素直もまた後を追う様に寮を出て行った。それを止める者はいなかった、止められる者などいるはずがない。

 その後沈黙が続いた寮の中、提案をしたのは順平だった。

 

 

 

 

 

 

 続いていた鐘を突く音が途切れた。108の鐘を突き終えたからではない、その『時』が途切れてしまったからだ。

 影時間の、到来。

 

 

 

 

 

 

 順平が寮の前の階段で座って待っていると、影の中からそっと現れた人の姿。

「よお、素直」

 呼ばれた本人はその声に緩慢に反応する。明るい緑色の空の月に照らされて出でるその姿、そのままその影に飲まれそうなほどにか細い。

「……順平?」

「お前を待ってたんだぜ」

 その言葉に眉をひそめる素直に、順平は立ち上がって彼の肩を叩いた。

「んじゃ、皆で除夜の鐘を撞きにいくってことで」

 

 

 

「でもさあ、なんで影時間に行くわけ?こんな気味の悪いときに行かなくたっていいじゃん」

「わかってないなあ、ゆかりっちは」

 呆れたようにいうゆかりに順平はちっちっち、と指を振ってみせた。

「ふつーに鐘を撞きにいったところで寒い中行列に並んだ挙句、やっと1回撞いたと思ったら後ろの奴にせかされる・・・そんなん風情ってもんがないだろー?」

「順平の口から『風情』という言葉が出ることに驚きだな」

 冷静な突っ込みが真田から入る。しかしそれには少しがくりと頭を下げただけで、すぐに持ち直した。

「だ、か、ら!影時間なら誰にも邪魔されることなくゆっくりと、しかもたくさん除夜の鐘が撞けるわけだ!」

「除夜の鐘ってたくさん撞けばいいってものでもないと思いますけど」

 右斜め後ろから今度は天田の厳しいコメント。それに同情したのか風花があわててフォローを入れた。

「で、でも本当に得した気分になれますよね」

「そうそう、そうだろっ!?……とにかくっ、こんな大チャンスを逃すわけにはいかねえっての。なあ、素直?」

 風花のフォローに少し気をよくして、順平は左隣にいる素直に同意を求める。そんなやり取りの中もただ黙って前を向いて歩いていた彼は、声を掛けられてようやく順平のほうに顔を向けた。

 帰ってきてから素直は何も言わない。『彼』と出会えたのか、出会えたとしてどのようなやり取りをしたのか、そして『彼』がどうなったのか。何も語ろうとはしないし、問いかける者もいない。

「……どうでもいい」

 ぽつりと無表情に返されたのはいつもの口癖の切って捨てるような言葉。だからといってそれは本当に順平の言葉に興味がないというわけではないようだ。

 言い返した後に、少しだけからかうように微笑んだから。

「なんだよ、お前ってば本当いつも俺に冷たいのな……」

 完全にがくりと項垂れてみせた順平の一方、美鶴は一人除夜の鐘を撞きにいくということに期待を抱いてわくわくしながらすでに集団の前方を早足で歩いていた。

 

 

 

「除夜の鐘は、旧年に107回、新年に1回つくのが慣例なんだそうだ」

 近くの寺に辿り着いて鐘を目の前にした時、素直が思い出したようにぽつりと呟いた。

「ほう?では今から撞くのは108回目の鐘になるのか」

「……さあ?それを守っている寺が果たしてどれだけあるのか」

「いいんじゃね?とりあえずそう思っとけば。なんか得した気分になれるしさ」

 いたずらをする前の子どものように楽しそうに笑う順平に、美鶴と素直は同時にため息をついた。

「んじゃ、その特別な108回目の鐘を素直、お前に撞かせてやろう。光栄に思え」

 胸を張って言われたその言葉に、素直は軽く手を振って辞退する。

「なんでだよ。せっかく言ってやってんのに」

「順平が撞きたくて来てるんだし、僕はいい」

「いいんだよ!せっかく俺が譲ってやるって言ってんだ、素直に聞いとけ」

 そう言ってぐいぐいと素直を鐘の前に押しやった。困って後ろを振り返れば他のメンバーも素直に譲るつもりらしく、ある者は面白そうに、ある者は優しく笑っているだけだ。

 素直は諦めて鐘の前に立った。鐘木を持って、すっと後ろに引く。

 

 

 

 ありえることのないはずの時間に響く、ありえることのないはずの鐘の音。

 

 ――そういえば、終わりの始まりを告げたのも――鐘の音だった。

 タルタロスから心の底にまで響く鐘の音が、聞こえた時、その時が。

 

 

 

 感慨深く、引いたままの鐘木を繋ぐ紐をぎゅっと握り締めた。

 

 

 

 ――じゃあ、これは……

 

 終わりを終わらせる始まりを、始める鐘にしよう。

 

 

 

 

 

 

 そして世界に響いた、始まりの合図。

 

 終わりがの始まりが終わり、終わりを終わらせる始まりの合図。

 

 

 

 ありえない世界の中で、彼らの戦いは始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⇒ネタはずいぶん前からあったのに書き出せなかった。終わりを終わらせる戦いの始まりの合図は、終わりの始まりの合図と同じだという皮肉にも似た話。

2006/12/31