揺りかごの内側

 

 

 

 足を踏み入れた瞬間に汗臭さと粉っぽさを含んだ空気が鼻を突いた。

「うおっ、これってハードルか!?」

 順平が何かに躓いたようだ。電気をつけないのだから当然足元はほとんど見えない。せっかく暗闇に慣れていた

目も、更に暗いところに入ったことでまた一から順応しなおしとなった。

「タルタロスに入る前から怪我をするなよ、順平」

「だ、だいじょーぶっすよ!むしろ素直ーお前のほうがふらっといっちまいそうだぜ」

 真田の言葉に順平は慌てて体勢を立て直す。そして心配しているのか揶揄しているのか素直の方を振り返っ

た。

 素直はその言葉には答えず、すいすいと闇の中を歩く。多少サッカーボールの入った籠で脛をぶつけてしまった

りもしたが、それでも歩く。

「……痛いだろ」

 ぶつけた音を耳ざとく聞きつけた真田が言った。素直はそれにも答えない。いや、軽く頷いてそれに答えていた

のだが、暗闇の中では気付くはずもなかった。薄く苦笑したのも闇の中に消える。

 軽い音と共に視界の端が開けた。

 真田は携帯電話を掲げて液晶の光を二人にも届くようにした。これでとりあえず大丈夫だろという真田と、そっか

ケータイがあったと慌ててそれを取り出す順平。

 素直はせっかく目が慣れてきたのに、と脇の光に目を細めつつ真田の液晶に映る時計の時刻をのぞき見た。後

3分だ。

「後5分っすね」

 順平が自分の携帯を見て言う。彼の時計が遅れているのか、真田の時計が進んでいるのか。まあどちらでもい

いのだが。要するにあと少しで影時間ということだ。

「では最後の確認だ。俺たちの目的は『山岸風花』の救出。こういう突入方法をとる以上、どんなことが起こるかわ

からない。気をつけてくれ」

「はい」

「わかってますって」

 真田の言葉は自分に言い聞かせているようにも聞こえる。

 そうして会話が続かなくなった空間を静寂が支配した。

 ある程度のスペースを確保して体育館倉庫の中で車座になって座り込んでいる男3人。後は影時間の到来を待

つだけなので携帯の光も使っていない。すぐ近くにいるはずの他の2人の顔も全く見えない。

 たまに彼らが動く音が聞こえなければ、1人なのではないかという錯覚すら覚える、……

 

 ―――1人でいるのは、いけないのか?

 

 ふと浮かんだ自分の思考に思わず問うた。

 1人であろうが、その他複数の人間と一緒にいようが、自身の生命活動に変化があるわけでもない。素直はただ

「そこにいる」だけだ。

 小剣を抱える手に力を入れた。闇に慣れてくればそれなりに周囲の様子も分かる。2人とも近くにいる。

 目を閉じて、真の暗闇を感じた。何も見えない。

 

 

 

 

 

 

 ―――マッテイタ、ズット

 

 

 

 

 

 

 カタン、と何かが動いた音。ふとそちらに意識を持っていこうとした瞬間に全てが崩れた。立ち上がろうとして足に

力を入れると、何もない。浮遊感を感じたのも一瞬、すぐに落下が始まる。

 

 落ちる―――?!

 

 しかしそれもまたすぐに終わる。今度は周囲の闇がうごめくのが分かった。びくり、とその場の全てを震わせ、爆

発する。目の前を知っている何か(おそらくは倉庫にあった器具)と共に、知らない何かが埋め尽くした。せり上が

り、山と、壁となっていく。闇が伸び、何もなかった足元の床がぼこりと持ち上がった。

「―――じく―――、じゅ―――ぺ―――」

「すな―――!?」

 覆いつくしていくその間から、遠く届く声と指先が覗いた。

「素直!」

 

 ―――ああ、こちらに手を伸ばしているのか。

 

 その手を取ろうともせずにじっと見つめている自分がいることに気が付いたのは、それすらも闇に飲まれ流されて

いってしまった後。

 

 視界から闇すら閉ざされた後は、覚えていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上を向いているか下を向いているか分からない。

 

 

 

 ―――マッテイタ、ズット

 ―――コノ星ガ生マレテカラ考エレバ、ホンノ一瞬。シカシ長イ時ヲ

 

 ―――駄目だよ。

 

 

 

 何かに包まれているのだろうか。心地よい。

 

 

 

 ―――ワレラガ母星ノモトヘ

 ―――ワタシタチト共ニ

 

 ―――彼は、違うんだ。

 

 

 

 感覚が無い。視界は闇、手を伸ばそうにも手があるのかどうかも分からない。

 

 

 

 ―――終ワリヲ ドウカ

 

 ―――終わりは確かに訪れる。でも、今じゃないよ。

 

 ―――ボクタチノ母ヲ ドウカ

 

 ―――まだ、その時じゃないよ。彼は、違うから。

 

 

 

 周りとの境界が曖昧で、自分の存在が切り離せない。周りに何かがあって、何もない。

 

 

 

 ―――だから、彼を離して。

 

 

 

 月に伸びる塔が浴びる優しくて悲しい月光を、閉じた揺りかごの中で感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「目が覚めた?」

 どこか嬉しそうに微笑んでいる少年が、そこにいた。

 何か、夢でも見ていたような気がする。

「……怖い夢でも、見た?」

 怖い?―――怖い、とは少し違う。確かに、怖いのだけど。

 優しくて、悲しい、夢?

 

 自分の手を捜す。探す必要もなく感じる手の感覚、そして動く腕。

 傍にあった小剣を握り締める。

 

 はやく、はやく―――真田先輩と順平と、合流しなくては。

 

 はやく―――自分以外の人に。

 

 少年が優しくこちらを見ているのも、どこか落ち着かなかった。

 

 

 

 

 

 

 階層を上がってようやく彼らの姿を見つけることができたとき、思わず駆け足となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⇒何だかワンパターンな気がする自分の文章。滅びの塔の中に溶ける主人公の図。

 2006/10/08