幼年期の終わり

 

 

 

 転校生の彼を案内している間、ゆかりは居心地の悪さをどうしても隠すことができなかった。初めの印象は最悪だ

ろう。いきなり怒鳴りつけた上に拳銃を持っていた(召喚器なので危ないものではないのだが、彼にわかるはずがな

い)のだから。しかしそれにもかかわらず藤草くんはそのことには何も触れず、簡単に挨拶をした以外には全く口を

開くことはない。

「ここだよ。一番奥の部屋だから、覚えやすいでしょ?」

 ゆかりは努めて明るく話しつづける。彼は無言のまま軽く頷いた。この状況をどう思っているのかは全く読み取れ

ない。感情を読み取ることができないからこそ余計に不安になる。彼は先程までの「あの時間」をどのように過ごし、

どう思っているというのか。

 確かめることのほうが勇気がいる気もしたが、それ以上に同族(かもしれない)としての興味が湧いた。つい最近

適正に目覚めたゆかり。自分はまだ恐れで召喚器の引き金を引くこともできないというのに。影時間が訪れるたび

に、体を強張らせる自分がいるというのに。

 尋ねて返ってきた答えはあまりに簡潔な言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 転校生の藤草に適正があるらしいとことは、予定外で驚いたが喜ばしいことだと言えた。少なくとも、少しでも手数

が欲しいと思っている美鶴にとっては願ってもない話。そうやって人をどこか道具のように計算に入れている自分に

心の奥で嫌悪感を抱きながら、それを押し込めて自分の目的のためにただ歩き続ける。それが美鶴の選んだ道だ

から。

 案内にやった岳羽がラウンジに戻ってきたところに声をかける。

「ご苦労だった」

「いえ……あの」

 岳羽は言葉を探すように目をそらした。

「彼……藤草くん、ですよね。藤草くんには……その、「適正」が……」

 やはり彼女にも気になるところがあるのだろう。

「早合点はできない、が」

「あるかもしれない」

「そう考えるのが自然だろうな」

「でも、藤草くん……」

 どこか弱々しい声に顔を上げてみれば、不安げな表情をしていた。

「ここまで来るのに平気だったのかって聞いたら、きょとんとした顔して『何の事?』って……」

「……影時間への変化に気が付いていないというのか?」

「でも、駅からここまで歩いてきたんなら……嫌でもあの……棺桶とか……見ちゃうはずですし」

 棺桶だけではない。緑色の空、明るすぎる月、血の様なものがあたりに飛び散り、そして押し付けられるような重

厚な空気。普通とは全く違う異世界の空間。

「そうだな……」

 美鶴はしばし考え込む。

「適応し始めに見られる混乱ということも考えられるが、本当にそうかどうかはわからないな。しばらく様子を見たほ

うがいいかもしれない。理事長にも来ていただかねば……ペルソナ使いが増えるかもしれないとなると、色々と準

備もいるからな」

 ゆかりがわずかに不愉快そうに眉をひそめるのには気付かないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空を見上げる。人口の光に溢れた街の中では星など見えるはずもない。見えるのはぐるんと丸く落ち着く月、がほ

んの少し欠けた状態。しかし、星が見えない理由は違う。空が明るすぎるからだ。そう、空を緑色が支配しているか

ら。

 少し視線をおろせば、次に見えたのはどす黒く赤い風景。棺桶が並び、血色に鈍く輝く世界が広がる。

 

 確かに、素直はここに来た最初の日にも、この世界を体験していた。していたはずだった。

 

 かけたままのイヤホンを上からぐっと押さえつける。この時間にはプレーヤーも動かない。振動一つ伝えることがで

きずにただ飾りとなっているそれを、しかし素直はそのまま耳にかけている。

 イヤホンを押さえながら目をぎゅっと閉じて俯いた。縮まるように身を固める。この不思議な世界に恐れを抱いてい

るかのようにも思えるが、それは違うと素直は断言できる。この感情は、「影時間に対する恐れ」ではないのだ。

「違う……違う、そうじゃない」

 影時間を恐れているのではない。影時間という存在の奥に潜む、自らの事実。自らが必死に否定しようと、なかっ

たことにしようとしていた世界の存在。その世界への扉が開けてしまったことが。

 数時間前に告げられた隠された時間の存在、闇に潜む異形のもの、それに対抗しうる人ならざる力。その全てが

彼にひとつずつ突き刺さる。急激で、鋭い刃が。

 

『しかし君はもう実際にそれを体験してるんだ』

 

「見て、いない。見ていなかった」

 

『あの日……君は色々と不思議な体験をしたはずだ』

 

「知らない。知らなかった」

 

『薄々は感じたんじゃないか?自分が「普通とは違う時間」をくぐったことに……』

 

「違う。僕は、分からなかった。知らなかった。だから感じなかった」

 

 

 

 

 

 

 駅に降り立った瞬間深く広がる緑色の闇が広がった。それと同時にわずかにいた人の気配が消え、無生物の「何

か」の雰囲気に変わる。だが、それに目を向けることはない。周囲がどうなろうが自分には関係ないのだから。周り

がどうなっていようが気にすることなく歩を進める。それでいい。

 ポケットから地図を取り出して道を確かめる。月の光が「普通よりも」明るいために夜の中でも目を凝らしてみる必

要もない。周りの建物や信号などを目印に目的地へと進む。その建物が「普通と違」っていてもそれは今の素直に

とって何の意味も持たない。それは彼に必要のない知識であって、だから気に留める必要も記憶しておく必要もな

いことだ。そう、それでいい。

 

 

 

『初めてここに来た夜のことを覚えてるか?』

 

 

 

「……覚えている」

 どれだけ目をふさいでも、耳をふさいでも、もうその景色は彼の世界に現れてしまった。

 目に入っても耳に聞こえても、存在しないものとして扱っていたものが、今目の前にある。

 見てはいけないと、知ってはいけないと、無意識の中で警鐘を鳴らしていた存在が、今目の前にある。

 

「覚えて、いる……知っている。知って、しまった」

 イヤホンから手を外した。動く者はなく、何も聞こえることがない静寂の世界が素直を包む。

 

「知っていた、分かっていた……でも、知らなかった。見ていなかった」

 目を開く。地面を移すその瞳に、緑色の闇が覆い被さる。

 

「見えてしまった。もう、目を閉じることが、できない」

 顔を上げた。眼前に広がるは、赤色の大地と緑色の空、そして無作為に立ち並ぶ棺たち。

 今まで何度か見たことがある景色だ。

 

 

 

 何か矛盾があってもそれは仕方のないことだと思い聞かせればすむことだった、何があっても知らない振りをして

いればよかった、自分に関わりのないことなら思考する必要すらないのだから考えることなんてなかった、それが存

在していたとしても見ようとしなければよかった、見なければ考える必要もなかった、知らなければ認識することもな

かった、認識できないように知識を入れようとしなかった視界に入れようとしなかった、けれど。

 

 

 

 もう見て見ぬ振りはできない。しようとしても「それ」は視界に入るだろう。

 

 その世界の扉は、開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――さあ、はじまるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⇒つまりは最初のムービーで主人公がああまで落ち着いているのはどうしてか。さらにはそのあとのゆかりの問いかけに「何のこと?」と平然と返した場合の主人公の心情とはいかにどういうものなのか。

 うちの主人公は「臭いものには蓋をしろ」精神の持ち主なので、影時間を体験していることを分かっていても「見ない振り」をしていた。「見ていない」と自己暗示することで、影時間のあの様子でも平然としていられたし、ゆかりの質問にもとぼけた答え(本人は本気で気付いていない)を返した……と。自己暗示によって自身に影時間を気付かせなかった、ということです。知らないでいたかったのに、知ってしまった。分かりづらい。
 でも影時間の存在を教えられてしまったために、もう「見ない振り」ができなくなったために逃げることもできなくなった……だから覚悟決めるしかない、というのが最後の部分。そしてだからこそ特別課外活動部への入部を迫られたときもあっさりと承諾したというのがうちの主人公くんです。説明しなきゃわかんねぇ。