奇跡が終わり、そして奇跡が始まる

 

 

 

 みんなと別れて、街灯の光が零れる道を歩く。市街地なので申し訳程度に等間隔に並んだ光がぽつぽつと続い

ているが、少し裏に入ればすぐその明かりも届かなくなる。

 闇を求めるかのように綾時は歩き続ける。それはさながら帰る場所を探しているかのように、ふらふらと、導かれ

るがままに闇を探す。一歩ずつ歩を進めると共に少しずつ足元から崩れていく感覚を覚えた。ああ、じきにこの感覚

すらも感じなくなるのだと綾時はどこか霞がかった思考の中で思う。一歩ずつ、一歩ずつ、闇へと足をのばし、その

身を委ねていく。その何と心地のよいことか。

 彼を待ってずっと眠っていたあの時とは違う。彼と共にいたときは色とりどりの鮮やか過ぎる流れが、彼のフィル

ターによってやわらかい光となってファルロスの元まで届いていた。彼を通して世界を、人を見ていたときは、その

見える世界の色の多さに感嘆を覚えていたはずだ。しかしそれでも感じていたのはあくまで彼を通して、であって

ファルロスが直接見たものではなかった。次に綾時が覚えているのは朝日の本当の眩しさ。彼を通して見る日の

光はとても優しい光だったのに何故、とファルロスは感じたのだろうか。でもその疑問も今なら分かる。綾時として

世界を直にその目で見て知った、そのなんと強烈な光の強さ。ファルロスは彼に守られていたのだということに気

付いたのは彼の元を離れてからだった。しかしその刺激は同時に興味が尽きない。自ら学び、自ら触れ、世界を

――人を知ることがこれほどまでに楽しいことであるということを知った。そして同時に彼がその世界を心のどこか

で拒絶していたことも、本当に、今なら分かる。彼が見ていた世界は正面から見たものではなかった。心の入り口

にフィルターをかけ、見えるものを制限していたのだ。

 

 しかし今綾時が感じているのはそのどれでもない。あるのはただ混沌とした大きな渦の中に交じり合う多種類の

感情が、ただひとつ辿り着いた結末。そこにあるのは結果だけで、他に心を惑わせるようなものは一切ない。単純

でただひとつの答え、それに呑まれていく感覚はとても心地よい。何も考えることもない、ただそれに身をゆだねれ

ばいい。

 

 踏み込む足から崩れていき、手足の末端の感覚はもうほとんど残ってはいない。少しずつ闇へと向かって歩く。その

感覚がなくなる瞬間までただ時を待つのみと目を閉じたとき、勢いよく引き戻される感覚を得ると共にわずかに足

元がしっかりした。

 

 手にあるのはわずかにつながれた別の体温の手。実際は後ろから軽く、くいっと手を引かれただけだろう。しかし

それでも今の綾時にとってはその接触こそが、彼を彼としてこの大地に引き留める唯一のものだった。

 

「こんなところに、いた」

「……どうして。何故、いるの?」

 綾時を繋いでいるのは紛れもなくその人だった。そして意識していなかった視界が晴れる。こんな時間では誰も

通らない、神社近くの細い細い路地裏。わずかな光すら入ってはこない、まさに闇の温床。

 綾時は後ろの人物を振り向かずに問いを重ねる。

「どうして?」

「ごめんなさい」

「どうして謝るの?」

「酷いことをしている自覚はあるから」

 引かれていた手が優しく両手で包まれた。

「それでも、あのままではいられなかった。このまま、うやむやにしてしまうのは」

「……きみは」

「望月綾時」

「うん」

 名前を呼ばれる。もうすぐ消えてしまう、でも確かに存在したという証。

「望月綾時はここにいる」

「もう、いないに等しいけれど」

 『望月綾時』という全体から分かたれた個はもうすぐ溶ける。母なる者に包まれ、その全てに身をゆだねることに

なる。

「今、触れている。それが全てだ」

 

 闇と交じり合う、その瞬間。除夜の鐘を打つ音が響いた。はじまりの鐘とは違う音色、しかしそれはひとつの物語

の終わりを示す合図。

 少しずつほぐれ、崩れていく。

 

「やっぱり……やっぱり……このすがた、は、見てほしく、なかったよ」

 望月綾時は『望月綾時』をすでに保つことはできない。生まれたときにとった形を経て、そして闇へと戻っていく。

 綾時はもう自分の姿を確かめることもできないけれど、きっと彼が触れたそのときにはすでに綾時は綾時の姿で

はなかっただろう。それでも彼は『綾時』の手を離さない。闇と共に溶けつつある綾時を、少しでも繋ぎとめるかのよ

うにその手を強くとる。

「始まりの姿」

「おわりのしるし」

「始まりの、終わりだ」

「おわりの、はじまり。だよ」

「その終わりを、終わらせる」

 綾時はその言葉に答えを返すことはできない。何故なら彼がその『終わり』となるからだ。おそらく彼らがニュクス

と対峙する時、目の前に立つ母なるものは『綾時』の記憶を有していることだろう。それは綾時という存在でなくと

も、綾時の記憶による思考はされるはずだ。消える瞬間になっても、自分はなんと忌むべき存在であるのだろうと

数え切れない呪詛を繰り返す。

「信じてくれなくてもいい。ただ、忘れないで。望月綾時であることを」

 ああ、なんて。なんて彼は、

「ざんこく、だね。きみは……」

 この姿を見られたくないから皆のいないところへ行きたかった。皆に苦しんで欲しくなかったから、いやそれ以上

にこの『望月綾時』の記憶を持ったニュクスが皆の前に現れてしまうことが嫌だったから、その前に殺して欲しかっ

た。

 そして『望月綾時』であったことが、綾時を余計に苦しめているのに。

「そうさせたのは、望月綾時。お前だ」

 彼が何度も名前を呼ぶ。何度も、何度も。忘れないようにと。

 もう望月綾時と呼ばれた存在はほとんどこの大地にない。ただ闇と一体となり、後はかすかに残滓を残すだけ。

少しずつほぐれていく存在は、しかし繋がれた手だけは未だ形を残していた。彼の体温をまだ少しだけど感じるこ

とができる。そして彼の声が綾時を綾時たらしめていた。

「友だちだから」

「ともだち……?」

「いつまでも友だちといったのは、お前だ」

「でも、ぼくは」

「いつまでも、僕の友だち」

「ぼくは……」

 もう形を成さない体を動かし、振り向いて彼のほうに向き合った。顔なんてもうないだろう、それでもわずかにきく

視力を使って彼の顔を見る。何度も見てきた、何年も一緒にいた彼の姿。そのことに気が付いたのはついこの間。

 

 除夜の鐘が遠くから響く。鐘の音だけやけに鮮明に聞こえる。

 

「ありが、とう、ごめんなさい。ぼくの、ともだち―――すな、お」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう目の前には不気味なほど静かに広がる闇が広がるばかり。生きる者はすべて象徴化し、ただ無機質な空間

が支配している。除夜の鐘の音の余韻が響く中、素直は今この瞬間まで触れていた存在を確かめるかのように、

じっとその手を見つめていた。

 

 その手には、ほんの少しだけ自分とは別の温もりが残っていた。

 

 

 

 ―――少しの間だけ、おやすみさない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⇒最後の瞬間を見届けたいというか、存在証明というか。うやむやにしたまま綾時を否定したくなかった主人公なのでした。結局綾時は主人公のことどうやって呼んでるんだろう。
  言葉遊びの世界を勢いで書いたから矛盾がある可能性が……あります(笑)時間おいたら見直そう。 2006/09/03
  追加修正(入れようと思って入れ忘れていた。ラスト反転) 2006/09/04