《Memento mori ―序章― 10/3》

 

 

 

「手前は何のために戦ってる」

 

 荒垣からの問いに、藤草はすぐに返答を返すことはできなかった。

 彼にとってそれは今までじっくりと考える必要のなかったことであり、そして考えても答えが出ないことのひとつ

だったのだ。

 考えても答えが出ないのならば、考えることは無益だ。

「今は、誰かのために」

 だからしばらくの沈黙の後に返した答えは、取り留めのないものになった。

「この街にいる誰かを守るため。それで今は理由として充分です」

 たとえ偽善ぶった答えでも、それを目的だと思って動けるのならばそれが理由で充分。

 

 この問いの答えはそのまま保留になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 集まりからは少し離れてラウンジのカウンターに行儀悪く腰掛ける荒垣の姿にも、もう慣れたものだ。

 彼と藤草との距離は決して壁があるわけではないが、不必要に近すぎることもない。互いに深くまで干渉しあわな

いのが暗黙の了解になっている。

 時には荒垣から軽く問いがかけられることもあるが、それは必ずしもきちんとした答えを求めているわけではない。

 心地のよい距離だ。藤草にはそれを壊すつもりなど全くない。

 

 だが、彼はどこか近いところがある。それはそこらじゅうに蔓延っているものだが、決して歓迎すべきものではな

い。

 それを告げるべきかどうか、藤草には分からなかった。分からないことは考えても答えは出ない。

 それならば考えることなどやめればいい。しかしまたその思考は復活する。満月が近くなるほどそれは深くなる。

だから、考えるのが億劫になる。

 いつもはそれでおしまい。考えるのをやめて、全てを忘れる。忘れるために他の何かに没頭する。それは例えば音

楽とか。

 でも今は、それだけでは終われない。しかしこれを告げてもきっとあの人には余計なお世話にしかならない気がす

る。だったらどうしろと?

 しかし満月の前日、10月3日。そのときいつものようにカウンターにいる荒垣の姿は、あまりにも近かった。

 思わず、声をかけた。

 

「荒垣先輩」

「珍しいな、何だ?」

「影が近く感じます。引き込まれないように、気をつけたほうがよいかと」

「……あ?」

 藤草のあまりに突飛な言葉に荒垣は軽く目を見開いた。

 しかし彼はその反応を予想していたのだろう、すぐに言葉を重ねる。

「影人間がいますよね」

「ああ」

「その人たちと凄く近い臭いがする」

「俺が影人間になるってことか?」

 荒垣は呆れたように苦笑した。

「そうかもしれないけれど、きっと違う」

 軽く伏せていた顔を上げて、目線を合わせる。

「でも、似ているんです」

「似ているってどういうことだ」

「影が近い。きっとすぐに墜ちることができる」

 藤草は目を細めた。悲しんでいるのか、それとも哀れんでいるのか。

 

 

 

「死の予兆と言ってもいい」

 

 

 

「藤草」

 荒垣はカウンターから降りて彼に向き合った。

 その表情はどこかあきらめが漂っているが、しかし真剣なものだった。

「どうして影人間と死の予兆が同じなんだ?」

 問いかけられた言葉に意表をつかれ、答えに詰まる。

 死を告げるなど不快なこと以外の何物でもないはずなのに、彼はそのことについては全く追求しようとはしなかっ

た。まるで、すでにそのことを知っているかのように。

「……分かりません。近い、ということだけしか。影に近くなっている感覚があるんです」

「そうか」

 その答えに別段落胆した様子はない。

「初めて会った時、影は近かったけれどあくまで貴方の傍にいるだけだった。でも今は違う。影と同化しようとしてい

る。余計な世話かもしれないけれど、一応」

「そうか。ありがとな」

 荒垣が見せた笑みに、藤草は驚いた。その笑みは死を覚悟する戦士そのものだった。

 話が途切れ、そのまま彼は踵を返す。その場を離れようとしたとき、荒垣はふと振り返って訊ねた。

「なあ……天田にもそれは見えるか?」

「え?」

「いや、天田だけじゃない。アキや他のやつらにも……」

「いえ。でも荒垣先輩だけは、ここに来たときから感じました」

「そうか。それならいいんだ」

 そのまま荒垣はさっさと自室に戻っていってしまった。

 

 その会話が交わした最後のもので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 覚悟の上だったのはなんとなく分かった。

 今まで見てきた影とはどれも違う。

 忍び寄る影におびえるのではなくて、影に染まる瞬間まで立ち向かった。

 

 分かっていたのに何もできなかったのはあまりにも悲しいと思った。あんな終わり方だったのだから。

 でも、考えても仕方のないことだ。もう、終わったのだから。

 終わり方に意味はない、全てに等しくその影はやってきている。

 

 それならば、考えても仕方がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⇒電波な主人公の出来上がり。死の体現であるデスを内包していたのだから、死に対して敏感かつ疎い存在になってもおかしくないと思う。

死を理解できないのに、忍び寄る死の気配を感じてしまう。それは不幸なのかそれとも。彼のメメント モリの序章。何せ今は思考停止で逃げていますから。

 

2006/08/30 主人公名修正