忘れられた決意

 

 

 

 その子どもは泣いていた。否、その行為を泣くと呼んでよいかどうか、アイギスには

判断できなかった。「泣く」とは悲しいときや嬉しいときなど、感情の高ぶったときに起

こる行為であると彼女の中では認識されていた。

 

 でもその子どもは。

 車の残骸と流れる血の臭いの中、何の感情も見せないまま立ち尽くし、ただ、涙を

流していた。

 

 

 

 望月綾時が転校してきてから、頻繁にアイギスのメモリーに急激な負荷がかかる

ようになった。

 それは人間で言う「悪い予感」というものか、それとも「嫌な感じ」とでもいうものか。

しかしそれらはあくまで彼女のメモリーに由来するものであり、つまり彼とは過去に

何か「悪い予感」を感じさせるだけのものがあったのではないかと推測される。

 「彼」のことを大切だと考えるときもこれに似た事が起きる。

 アイギスがそのことを考え始めると、またメモリーに大きな負荷がかかった。

 10年前に始めて起動したのが「あの事故」のときで、アイギスはそのときに大破し

たためすぐに記憶は途絶えている。

 しかし途絶える前の記憶、シャドウと戦っていたときの記憶もほとんど残ってはいな

い。

 それは大破したことによるものだろうとラボの技術者たちは言った。

 それなのに、記録されていないはずのメモリーが言う。

「あの人は、ダメ」

「あの人は、大切」

 感じるものはどこか似ているのに、AIに命じられるものは両極端。

 そう、アイギスは彼を守らねばならないのだ。

 記録されていないメモリーが命じている。

 それをアイギスに命じている。

 

 

 

 ―――私は10年前のあのときすでに、彼を守ることを自分で決めていたのですね。

 ―――あの、ときに

 

 ―――声もなく『泣いている』彼を、守ろうと。

 

 

アイギスが主人公を守ろうとした理由がデスのことだけだったら、アイギスは綾時みたいに主人公を敵視するのではないかと。
人間的な感情をなくせば、彼を殺せばいいって考えそう。
実際綾時は倒すことで解決するって考えてた(訳ではないだろうけれど、そうしようとした)みたいだし、封じた人間を見張るだけっていうのはちょっとおかしいもの。
・・・と言う話をもう少し練りこんだ形で書きたかったんだが、惨敗。

初稿 20061206
ブログより転載

 

 

 


 

 

岐路に立つ者

 

 

 

「僕を殺すことに抵抗を覚える必要はないんだよ?」

 目を伏せたまま綾時は言葉を紡ぐ。

「きみはただ、存在してはいけないものを、存在するはずがないものをあるべき姿に

戻すだけでいい。それだけなんだ」

 彼とは視線を合わせない。綾時は彼が視線をあわせることを嫌うのを知っている。

彼の内側から彼の視線を見てきているから知っている。

「僕を、殺せばいい。僕に憐れみを覚える必要はないんだ」

「自惚れるな」

 綾時の独白を黙って聞いていた彼が、鋭く世界を遮った。

 瞬間、綾時は彼に胸倉を掴まれて乱暴に引き寄せられていた。視線が重なる。彼

の顔が近い、あと少しで触れてしまいそうなほど。

「お前を殺すことを躊躇っているんじゃない」

 長めに伸ばされた髪の間から隠されることなく覗く彼の目が、綾時を掴んで放さな

い。

「これは、僕が決めたことだ。死の運命に立ち向かうと決めた、僕たちの選択だ。たと

えお前が人でなくても、初めて会ったときのかつての姿であっても、意思を持たない

存在であっても―――僕はお前を殺さない」

 

 唇を開くと共に微かに届く彼の吐息は、少しだけ震えていた。

 

 

「自惚れるな」が言わせたかっただけとも言う。

問題を履き違えてはならない。
滅びに抗うという結論を出したから綾時を殺さないのであって、
綾時を殺したくないから滅びに抗う、という訳ではない・・・と言う話。

初稿 20061219
ブログより転載