1月の向こう

 

 

 

「バレンタインチョコ」

 口に出して言ってみると、何とも不思議な感じがする。

 アイギスはポロニアンモールに広がる甘い香りの雰囲気に目を凝らした。

 1月ももうすぐ終わり、チョコレートがショーウィンドウに並び始めている。この先来る

であろうバレンタイン・ディにむけて。

 

 ゆかり曰く、バレンタイン・ディとは「好きな人にチョコレートを送る日」であると。

 アイギスも『好きな人』にチョコレートを送らねばなるまい。

「美鶴さん、ゆかりさん、風花さん、順平さん、真田さん、天田さん・・・・・・コロマルさ

んは大丈夫でしょうか?」

 指折り数えて考える。

 そして、あの人のことも。

「好きな、人・・・」

 あの人に抱く気持ちが今、どんなものか、アイギス自身でも理解は出来ていない。

 だが、それでもいいのだ。今のアイギスはこれからその気持ちを知っていくのだか

ら。

 

 ――『特別な男の子には、特別なチョコレートをあげるんだよ』とも、ゆかりさんは言

いました。

 

 アイギスにとってあの人は特別な存在。

 しかし、それはゆかりの言う『特別』に当てはまるのだろうか?

 アイギスには、あの人に『特別なチョコレート』を送る資格があるのだろうか?

 

 アイギスは考える。

 

 その答えを出すためにも、1月を終わらせるのだ。

 

 

 

 

きっとアイギスにとっては深く考える必要のないこと。

初稿 20070211
ブログより転載


 

 

 

 

チョコレートは行き場も無くただそこに

 

 

 

 皆さんがすべてを忘れてしまって、1ヶ月が過ぎました。

 私にはもう、あの時のあの人が何を思っていたのかを知ることは出来ません。

 ただ、皆さんがその時が来るのを知らず平穏な生活を送っている姿を、遠くから少

しだけ眺めることしか出来ません。

 機械である私だけは、デスの影響を受けることはなかったのでしょう。

 私は今でも記憶を持って、その時が来るのを待ち続けています。

 いつ来るのでしょうか。

 明日かもしれません。明後日かもしれません。すぐ次の瞬間かもしれません。

 

 チョコレートを買いました。

 明日は、バレンタイン・ディなのです。

 

 明日が来るかも分かりません。

 何よりも、私がこれを渡せる人などいない。

 

 もう誰も、あの夜を覚えている人はいないのです。

 誰も、私の存在意義を認めてくれる人はいないのです。

 私が思いを寄せることが許される人はいないのです。

 

 もう、アイギスが生きることを許してくれた人たちはそこにいない。

 ただ失ってしまった時に縋り続けるだけだ。

 

 遠くて近い明日にかすかな夢を見て、アイギスはチョコレートを握り締めた。

 

 明日は来ないかもしれない。

 たとえ明日が来たとしても、アイギスがチョコレートを渡す人はどこにもいない。

 

 

 

 正規ルートだと記憶を失うけれど、アナザーエンドだと記憶が残っているのではないかと思うのです。1ヶ月の彼女の成長は大きいからこそ、記憶を失ったのではないかと思うのです。

初稿 20070213
ブログより転載


 

 

 

 

ばらばらになり見失ったピース

 

 

 

 感情能力のテストとして月光館学園に通っている少女の姿をした機械が、巌戸台

分寮にいる。

 彼女―機械をそうカウントしてよいかは疑問だが―は、少々特殊な環境にあるそ

の寮で、人の感情を学ぶために学校生活を営んでいるのだ。

 だが、アイギスはその寮にいる生徒と会話をしたことがほとんどない。すれ違えば

挨拶をする、そんな程度。

 彼女を造り出した桐条グループの息女が同じ寮に暮らしており、少女の姿をした機

械が話す相手と言えばそれくらいだ。彼女とは夏祭りにも共に行ったと記憶している

が、そこまで仲良く会話をしていたのかどうか記憶にない。まず何故夏祭りになど行

ったのか。

 他の寮生などは話したことすらない者もいるように記憶している。

 特に、常にヘッドフォンをしている小柄な男子生徒――彼などは、隣室の男子生徒

とともに多少会話しているのを見たくらいで、彼自身は積極的に話す性質ではないら

しい。彼の声をはっきりと聞いたことは、アイギスの記憶の中ではない。

 しかし、それでも何故か――彼女の中に残る声がある。

 その声はどこか、その男子生徒の声に似ている気がするのだ。

 

 ――ありがとう。

 

 

 

 2月も中頃に差し迫ってきた頃、アイギスがふと気が付いたときそれは手元にあった。

 財布も一緒に外に出していたので、それはアイギス自身が買ったものであるのだろう。

 

 ラッピングされた、チョコレート。

 

 何故だろう。アイギスはそういった行事とは無縁のはずなのに。

 それを握り締め、アイギスは店の前で立ち尽くしていた。

 

 

 

 ――私は、あなたにチョコレートを送りたいのです。

 ――・・・

 ――ご迷惑でしょうか?

 ――その前に、2月を迎えないとね。

 ――もちろんです。私が、貴方に想いを伝えるためにも――世界は、終わらせません。

 ――・・・

 ――私は私に命じます。『アイギス』が貴方に気持ちを伝えるために、2月14日をもたらすことを。

 ――アイギス。

 ――はい。

 ――ありがとう。

 

 

 

 あの声を、もう一度はっきりと聞きたくて、でも、どうすればその声が聞けるのか分

からなくて。

 

 

 

 長い時と惑いを経てようやくアイギスの心を構成するピースを作り出すことが出来た

というのに、彼女は出揃ったピースを見失ってしまった。

 欠けたピースの一つが揃い、彼女は今チョコレートを手にしている。

 

 しかし、そのピースをはめる場所を見つけることだけは、どうしても出来なかった。

 アイギスは、結局そのチョコレートを渡す相手を見出すことは出来なかった。

 

 全てのピースが揃いその形を成すまで、あと半月。

 

 

 

初稿 20070214
ブログより転載