虚空に祈る

 

 

 

 看護士以外でその病室を訪ねる者は今は一人しかいない。病室のドアがゆっくりと開かれるのに、チドリは期待

の目を向けた。

 しかしそこから現れたのは看護士でもチドリが期待していた人でもなかった。

「……」

 藤草素直は鞄とコンビニの袋を片手に提げてチドリのベッドにまで真っ直ぐ向かってきた。チドリはあからさまに落

胆の色を見せる。その態度に動じず素直は脇にある椅子にひょいと座って鞄を床に下ろした。コンビニ袋だけをチド

リの方に渡す。

「順平は先生に呼び出された」

 授業中に居眠りしていたのを鳥海先生に見つかって、ぶちきれた先生に引きずられて説教部屋に連れて行かれ

たのだ。おそらく後1時間は帰ってこれないだろう。

 チドリが受け取ろうとしないので袋をそのままベッドの上に放る。軽い衝撃によって袋の中身がこぼれた。チドリは

そのひとつを手に取る。

「これ」

「順平が昨日約束していたコンビニお菓子。合ってる?」

「知らない」

「不味いらしいね」

「知らない」

 にべもないチドリの態度にも気にすることなく素直は袋からいくつかのお菓子を取り出して机の上に並べた。

「僕の用事はこれだけ、……」

 一瞬躊躇った後に、口を開く。

「順平が『話をしたらチドリが食べてみたそうだったから、早く食わせてやりたい』って僕に頼んだ」

「……」

 軽くため息、そして素直はあの「空気読み人知らず」な順平に思いを馳せ呆れかえる。

 どう考えても「お菓子を楽しみにしていた」のではなくて、「それを持ってくる順平」を待っているに決まっている。ど

れだけ遅れてでも順平自身が持っていくべきことだったのだ。

 だが素直は頼まれたことをやるだけだ。いちいち人の行動に突っ込んでも面倒なだけ。

 

 

 

 ―――白い部屋

 

 ―――見上げると白衣を着た大人たち

 

 

 

「――――――!」

 突然のインスピレーションに素直は身を震わせた。心臓が早鐘を打つ中、ふと気が付くと目の前のチドリが頭を抱

えて呻いている。

「……チド、リ?」

「や……!」

 

 

 

 ―――手に山盛りの薬

 

 

 

「っ!」

 チドリの叫びと共に見たこともない景色が藤草の頭の中によぎる。椅子に座っていられず、大きく頭を抱えた。

 

 

 

 ―――緑色の闇、棺桶がいっぱい

 

 ―――周りに倒れる同じ服を着た子どもたち

 

 

 

「やめ、ろ」

 震える声で制止を求める。

「……やめて」

 懇願にも近い。

 

 

 

 ―――見下ろす大人の三日月のような口元

 

 ―――針が光り、こちらに向かって

 

 

 

「いや――――――!!」

 

 

 

 チドリの叫びは止まない。彼女が身をよじるとともに、素直にもその苦しみが苦悶の声とともに伝わってくる。耳を

ふさいでその声を聞こえないようにしても、彼女の痛みは鼓膜を振るわせるのではない。彼の心に直接響かせる。

 

 

 

「やめ……こない、で」

 

 

 

 見せるな。干渉するな。

 

 

 

「入って、くるな――――――!!」

 

 

 

 心からの叫びと同時にふと体が軽くなった。入ってくる「それ」を押し返す力が溢れてきているのを感じる。

 止め処もなく際限なく、ただ力の本流が形となって素直を包んでいる。

 

 

 

 ――― ・・・――・・―・ ・・・― ―・・・!

 

 

 

 どこか遠くから響く声とともに、素直の意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識の浮上とともに感じたのは、口の中に広がる不快感だった。

「気分のほうはどうだ」

 掛けられた声に頭だけを動かしてそちらの方を見る。だるそうに椅子に座っていたのは荒垣だった。最後に聞こえ

た声もこの人のだろうか。

「……苦い」

「薬だからな」

「くすり?」

「細かいことは気にすんな」

 おそらくはあまりこのことについて話したくないのだろう。

「……何があった」

「?」

「あいつ一人ならともかく、二人してペルソナ暴走させるだなんて普通じゃねえだろ」

 自身に何があったのかをようやく把握した。自分は病院のベッドの上にいて、そしてチドリのいた部屋ではない。

窓の外を見ればすでに日は落ち、月が見える。

「ペルソナの、暴走」

 彼女が起こした干渉によって、素直もまたペルソナを暴走させてしまったのだ。軽く目を閉じ、自分の中の力を探

る。しかし得られるものは何もない。渦巻く力の全てが反応を返さない。荒垣が言っていた「薬」とやらの効果のせ

いだろうか。

 何故だか妙に体が軽い。頭がすっきりしているように思える。チドリが「入ってきた」あの時は不快感でいっぱい

だったのが、それから開放されたせいだろうか?……いや、それだけではない。

 思考にふけっていると、荒垣の視線を感じた。黙っているのはさすがにおかしく感じたのだろう。先の質問の答え

を簡潔に返す。

「はいってきてほしくなかった」

 自分でも何を言っているのかなんて分からない。細かく説明しろと言われればきっとできない。ただ単に「そう感

じ」て「そのように行動」しただけだ。

「だから、『でていって』って」

「……」

 荒垣は黙っている。素直が言っていることを噛み砕こうとしているのか。

「だって」

 その沈黙を嫌うかのように声を重ねた。

「だって、はいってきてほしくなかった。はいってくるなって、おもっただけ」

「お前」

「……これ以上、かき回されたくないんだよ。ただでさえ頭が壊れそうなのに」

 

 声が低くなった。衣擦れの音とともに、素直は荒垣の前に顔を寄せた。布団を放ってベッドの上にべちゃりと座り

込み、彼の顔をじっと見つめる。

 

「ただでさえ零れ落ちそうなのに、揺さぶられたら……誰だって、怒るよねぇ?」

 

 口の端が奇妙なほどに歪む。

 

「ただでさえ押さえるのに疲れてるのに、かき回されたら……嫌だよねぇ?」

 

 くすくす、と喉の奥から笑いがこみ上げてくる。止められない。

 

「いま、すっごく気分が楽なの。何だろうね……何も考えなくてもいいの。心の中から響く声が聞こえないの。迷わ

なくてもいいの。ただ感じるままに動いても、怖くないの」

 

 心からの笑顔を向けた。

 

「自分を、抑えなくてもいいの。押さえなくても、暴れないんだ……」

 

 荒垣は思う。それは自分が彼に飲ませたペルソナ抑制剤に起因するものなのかどうか。彼はあまたのペルソナを

使う。自分や他の者は一つずつしか持たない自分の分身を、いくつも持っている。薬によってそれら全てを押さえて

いるのだとすれば、今の彼はどのような状態であるのか。

 

「あらがきさん」

「……何だ」

「おれは、つかれた」

「何に」

「ぜぇんぶ。だってぇ、きっと、もうすぐ、このゆめはさめちゃう」

「夢じゃねえぞ」

「ぼくにとってはゆめ」

 ほんの一瞬悲しそうに微笑んだのを荒垣は見逃さなかった。だがそれも本当に一瞬。そういえば、と素直は呟いた。

 

「―――なあ、チドリちゃんはどーした?」

「あいつなら隣の部屋で寝てる」

「じゅんぺーは?」

「ああ……看護士に追い出されてたな」

「あちゃあ……今日に限って捕まっちゃったもんねー」

 運がないよねえ、と素直は楽しそうに笑う。ベッドの上で座りなおして胡坐をかく。

「ほんと、今日に限って……俺が来ちゃったもんなあ。でもよかったのかも。チドリちゃんだってあーゆーの見られた

くはないだろうしねー」

 うんうんと頷いて一人で納得している。

 

「……でも、ちどりは、ぼくのなかにはいってこようとした……」

 声色がすっと変わって、不機嫌な顔になる。いやいやするように首を振って、顔を伏せる。

 

「……藤草」

 

 荒垣が名前を呼んだ。何か話しかけることがあったわけではない。だが、呼ばずにいられなかった。

 そこにいるのが「藤草」であることが、疑わしくなった。

 名前を呼ばれた瞬間、素直はぴたりと静止した。顔を伏せたまま動かない。

「藤草?」

 もう一度呼ぶ。今度はのろのろと顔を上げて荒垣の方を見た。

「荒垣先輩」

「藤草……だな」

「ずっと、僕ですよ」

 無表情で答えを返す。

 

 

 

「どれもこれも全部、僕です」

 

 

 

 月の光だけが差す真っ暗な部屋の影で、素直の口元がほんのわずかに上がったような――そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⇒ぶっ壊れ電波主人公降臨……でも自分がコントロール不能で撃沈。ペルソナを発現させたその瞬間にそれを止められたから、いろいろと混ざり合っちゃったんです、よ(説明)。

そもそも主人公人格崩壊説を支持。複数のペルソナがあることはそれほどおかしくなくてもそれが恐ろしい数に及んでますし、何より平気で付け替え可能だし。

最初は序盤のチドリと順平の話だけにしようと思って、それからちょっと思いついたので付けたし、さらに壊れたのが書きたくなって続けたら収拾つかなくなった。もういいよorz

2006/09/19