《昔話》

 

 

 これはまだ、後に勇者、そして獅子帝と呼ばれることになる男が、育ての親であり後の仲間でもあるエルフのもと

にいた頃のお話。

 彼が十四歳の時だ。

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――ぇん、うぇ……ん

 

 

 

 猫屋敷の庭で槍の練習をしていたネメアは、いつもの森のざわめきとは違う声を感じ取った。鳥のさえずりとも獣

の遠吠えとも違う、この森では異質な感覚……人の声だ。

 それも泣き声。幼子だろうか。

「……行ってみよう」

 猫屋敷の結界を抜ければ、森には少ないながらも魔物がいる。もしかするとそれに襲われているのかもしれな

い。そうだとするならば助けなければ。

 思い立った後の行動は早い。ネメアは槍を握りなおすと結界の外へと飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

「兄さん、そろそろやめてお茶にしましょう……あら?」

 ケリュネイアがお茶の用意を済ませて兄を呼びに行くと、そこには先程までいたはずの彼の姿がなかった。

「どうしました、ケリュネイア」

「あ、父さん……兄さんがいないの」

 先にお茶にしていたオルファウスが、いつの間にかケリュネイアのそばに立っていた。ネメアがいないと聞いても

彼はいつものように微笑しながら

「おやおや……せっかくのお茶が冷めてしまいますよ。困りましたねえ」

 全く困っていない顔でそう呟くだけだった。

 ……いつもなら。

「でも、今日はちょっと妙な気配がしますからね。もしかしたらそれに吊られて行ってしまったのかもしれませんね」

「……それ、どういうこと?」

 いつもならのんきなことを言っておしまいのオルファウスが気になることを付け加えて話したことにケリュネイアは

不審に思った。しかしそれに対してオルファウスはというとすり寄ってきた猫を撫でてやりながら笑って返す。

「まあ、あの子のことですし。大丈夫でしょう」

「大丈夫って、父さん……」

 

 ガサガサ―――――――――――

 

 彼女が呆れていると、近くの草むらから何かが動く音がした。

「猫……じゃ、ない」

 猫にしては音が大きすぎる。

「……!?」

 草むらから勢いよく『何か』が飛び出してきた―――――――――

 

 

 

 

 

 

 注意深く見回して、何かいないかを念入りに探した。人の姿はもちろん、魔物の気配も気にしながらあたりを捜索

する。だが、どちらの姿も全く見つけることができなかった。

「……おかしい」

 ネメアは眉をひそめながら呟いた。普段ならば襲ってくることまではないにしろ数匹の魔物があたりをうろついて

いるはずなのに、それらの姿までもなかったからだ。『全く』何も見つけられないということはおかしいのだ。

 それに比例してネメアは胸騒ぎを覚えた。何かがおかしい。違和感がある。

 

 『何か』を感じる……。

 

 聞こえてきた泣き声のことも気になったが、ネメアは一度猫屋敷に戻ることを決めた。父ならばこの違和感の正体

について分かるかもしれない。もしかしたら泣き声のほうもそれに関係がある可能性だってある。

 そう思って踵を返して戻り猫屋敷の結界に近づいた瞬間、ネメアの耳に届く声があった。

 

「―――――――ぁあん…………っく、ひっ……っく、おかぁさ……ん」

「ああ、えっと……ねえ、もう泣き止んで……ね?」

 

 聞こえてきたあの泣き声と同じ声だった。そしてそれを必死にあやしているケリュネイアの声もする。ネメアは急

いで結界の中に入っていった。

「ケリュネイア、どうした」

「あ、兄さん!」

 ネメアが現れたことに、ケリュネイアはどこかほっとした表情で彼を見た。しゃがんでいる彼女のその前にいるの

は小さな――四、五歳ほどだろうか――少女だった。肩ほどで切りそろえられた黒髪に、浅黄色のワンピースを着

ている。赤く泣きはらした目にさらに涙を浮かべ、彼のことを認めると上目気味で不安そうに彼を見つめた。

「おか……さん、どこ……?」

 少女はひくつきながら口を開いた。今にもまた泣き出しそうだ。

「外で遊んでたらね、いつの間にかね、知らないとこにいたの。おかあさんがいたはずなのにね、いないの。ね、お

にいちゃんは……おにいちゃんは、おかあさん、どこにいるか、知ってる?」

「……お前の母親と思われるような人の姿は、見ていない」

 少々ためらいつつ、ネメアは正直に少女に答えを返した。少女は彼の答えにやはり顔をうつむけて泣き出してし

まう。

 肩を震わせる少女にどうすることもできず二人が立ち尽くしていると、突然猫屋敷の扉が開いた。そこから現れた

のは中から湯気の立っているマグカップを手に持ったオルファウスだった。

「ああネメア、お帰りなさい。おやおや、二人とも……泣かせちゃ駄目じゃないですか」

 のんきに笑ってそういう父親の姿に、兄妹はそろってため息をついた。

「はいどうぞ、温かいミルクです。おいしいですよ」

 オルファウスはしゃがんで少女と目線を合わせると安心させるように微笑んだ。

「……」

「さあ、どうぞ」

 差し出されたマグカップをしばし見つめていた少女は、おずおずとそれを受け取った。

「……ありがとうございます」

「おや、えらいですね」

「おかあさんに、言われたから」

 少女は褒められて少し得意そうにはにかんだ。両手で抱え込むようにしてマグカップを持って何度も息を吹いて冷

ましている。どうやらかなりの猫舌らしい。相当経ってようやく少し口につけた。中身を口に含んだ瞬間、少女は目

を輝かせた。

「……あまぁい」

「はちみつを一杯入れましたから。お気に召しましたか?」

「はい!」

 少女はすでに泣き止んでいる。それどころか今度は庭にたくさんいる周りの猫たちの方に関心を寄せ始めた。鮮

やかなオルファウスの手法にネメアもケリュネイアもただ呆然とするだけだった。

「猫が好きですか?」

「……この子たちが、ねこ?ねこって初めて見た……かわいい」

 人懐っこい猫たちは少女に擦り寄ってくる。少女は嬉しそうにその猫たちを撫で回した。ちょっと乱暴に。一部の

猫はそそくさと避難していった。

 オルファウスはその様子をしゃがんだまま苦笑しつつ眺めていた。そして、少女が猫たちを思う存分撫で回した後

にようやく彼は口を開いた。

「私はオルファウスといいます。あなたの後ろにいるお姉さんはケリュネイア。そしてその後ろにいるお兄さんがネメ

アです。あなたのお名前も教えていただけますか?」

「わたし?わたしは、リア」

 お気に入りとなった一匹の白い猫を抱えながら、少女――リアは屈託なく応えた。

「では……リア、あなたはどうしてここに?お母さんとはぐれてしまったのですか?」

「おかあさんがさっきまではそばにいたの。一緒に遊んでたの。でも、おかあさんが家の中に入っていったあと、な

んかおっきなのがね」

「大きいの、ですか?」

 リアはオルファウスの問いに再び顔を曇らせながらも、精一杯説明しようとしていた。しかし途中から彼女の話は

支離滅裂になっていった。

「暗くて、おっきくて……そう、とにかく大きいの!さわると何だかふわってしてぞくってした感じになるの。怖いんだ

けど、悲しいの」

「……」

「それでね、ここにいたの。泣いてたら、ここにいたの」

「……それは」

 ネメアがリアを問いただそうとすると、オルファウスが先に口を開いた。

「リア、ちょっとここにいてください。私とネメアは少し出かけてきますから」

「と、父さん?」

「ケリュネイア、リアのことをお願いしますね」

 そう言い置いてさっさと身をひるがえしたオルファウスに、ネメアは黙ってついていくことにした。

 父の顔は確かにいつものように微笑んでいたが、目の端にほんの僅かだが焦りのようなものが感じられたから

だ。

「ケリュネイア、後は頼む」

 妹に言い残して、ネメアは父に続いて結界の外にでた。

「……父さ〜ん、兄さ〜ん……?」

 後には、呆然としているケリュネイアと、事態が飲み込めていないリアだけが残された。

 

 

 

 

 

 

「ネメア、感じますか?」

 オルファウスの口調はいつものように優しい。しかし何について問われているのか感づいているネメアにとって、

その口調は気を抜くことを許すことができるという根拠にはならなかった。猫屋敷を離れて結界の外に出た瞬間に

緊張を高め、辺りを警戒する。

「父よ、これは……」

「落ち着いて。見えるものも見えなくなりますよ」

 あくまでオルファウスはその姿勢を崩さない。しかし、彼らが危惧する「影」は徐々に濃くなっていることがわか

る。

「……あの娘は、一体」

「おや、ネメア。感じませんでしたか?彼女は無限のソウルたる魂を持っている子ですよ」

「無限の……ソウル。まさか」

「そう……きっとあの子に引き寄せられてしまったんでしょうね。この闇の巨人は」

 

 その名を告げた瞬間、気配が一気に広がった。

 薄暗い森を覆いつくすかのように現れたのは、闇を引き連れた巨人。

 

 ネメアが手にずっと持っていた槍を巨人のほうへと向けるのとは対照的に、オルファウスはその構えを崩さない。

 息子は父に厳かに告げた。

「父よ、ここは私一人にやらせて欲しい。闇の巨人も相手にできぬようでは、これからの先はない」

「……待って!」

 オルファウスが声を上げた。ふと彼が振り向いた先を見やると、そこにいたのはあの少女の姿。

「おかあさん!」

 リアは手を伸ばして闇の巨人の方へと駆け寄っていった。

 それを慌てて引きとめようと彼女に向かって走り出そうとした瞬間。

 

 目の前にいた闇の巨人は瞬時に霧散した。

 

 ネメアが目を見開く中、闇の巨人が残した気配の中を現れたのは一人の女性だった。

 右目のもとに小さな泣き黒子がある。その洗練された動きが目立つ、とても美しい女性だ。年齢は外見だけでは

見て取れない。十代だといわれても、四十代だといわれても頷くことができるかもしれない。

 だがネメアには分かった。その女性の発する闇の気配が。自分ととてもよく似た気配。

 彼女は、闇に所属する者だ。

 しかし彼女の巨人を一瞬で消し去った迫力は、走り寄る少女の姿を認めた瞬間に消え去った。

「おかあさんっ!」

「リア……」

 手を伸ばして駆け寄るリアに愛おしそうに手を伸ばして抱き寄せた。

 少女を抱きしめるその姿は、ただ彼女を慈しむ母親そのもので。

 そしてリアもまた女性にしがみつくと、堰を切ったように泣きじゃくり始めた。

 おかあさん、おかあさん、とリアが呼んでいるのは紛れもなく目の前の女性であり、その人はネメアには何度見

ても魔人の気配しかしない。

「よかった、リア……お前がいなくなったら、私……」

 女性はリアを抱きしめながら安心したように笑みを見せた。

 先を上げた槍をおろすところがなくなってしまったネメアはその様子を黙ってみていることしかできなかった。

 オルファウスもまた言わずもがな、のほほんとした笑顔でその様子を見守っているだけだった。

 

 

 

 リアが泣き疲れたのか女性の腕の中で眠ってしまいようやく静かになったのを見計らって、ネメアは彼女に声を

かけた。

「何が目的だ」

 ネメアは巨人には向けられなかった槍を彼女の方へと向けた。

 その切っ先をゆっくりと見上げ、女性は口を開いた。

「……お前は、『死の獅子』ね。もう一人は……ネモの教え子……パルシェンか」

 リアに見せていた優しい顔から一変して、表情が引き締められた。

 本名を当てられたオルファウスが、それでも平然と答える。

「ええ、そうですね。一応、ネメアとオルファウスですが」

「ならば私のことは分かるんでしょう?」

「はい。円卓騎士の『告げるもの』アスティアさんとお見受けしますが」

 ―――――円卓騎士。

 あっさりと告げられた彼女の正体にネメアは息を呑む。

「この子に何かしたりしてはいないでしょうね」

「いいえ、何も。私の家のほうで保護していただけですよ。なかなか礼儀正しいお嬢さんですね」

「この子と私は関係ないわ。この子に何かすることだけは許さない」

 アスティアの纏う空気が変わった。闇のプレッシャーが彼らを襲う。

 オルファウスはそんな中でも普段と変わらず口を開いた。

「リアのことを愛しているんですね」

「……!」

 アスティアは目を見開いた。

 それからどこか観念したように話し始めた。

「そうね……この子と過ごしてから、私は変わってしまった。ウルグ様に仕える円卓騎士であり、魔人であり、人を

飼う立場にあるはずの私が……。初めは、無限のソウルを餌にすることができればいいって、ただそれだけだっ

た。でも……私は、知ってしまった。この子と共にいると、安らぎを感じている自分を。」

 リアを抱きなおす姿を見て、ネメアはどこか羨ましさすら覚えた。

「私はこの子を守るわ。この子には優しく、平穏に生きて欲しいから」

「しかしそれでも闇が、そして運命が彼女を放ってはおかないだろう」

 今回のことだってリアの無限の魂に引かれて闇の巨人が彼女のもとに現れたことは明白だ。

「『死の獅子』、ネメア……それでもよ。せめて私はこの子との時間を共に生きたい。願わくばこの子が生きている

限りは、ウルグ様が目覚めないことを望むわ」

 

 

 

 

 

 

 ケリュネイアが走ってくる足音が聞こえる。

 アスティアとリアが空間転移で消えていった空間をネメアはじっと見つめていた。

「いずれまた会うこともあるかもしれませんね」

「……ああ。特に無限のソウルを持つ者には、きっと出会うだろう」

 運命が許してはくれないだろうから。それでも。

「幸せであるといいんですけど」

「そうだな」

 

 

 願わくばネメアも、そして二人も―――――幸せに暮らせることを。

 無駄な願いと分かっていても、願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⇒おかーさん大好きです。まだED見てないけど。プレイする前から夢に出てきたよおかあさん。

ネメア書きづらい。何せ口調が固い。おとーさんのことどうやって呼んでるよ。途中からケリュネイアの扱いに困ってしまった。まだパルシェンってばれてはいけないんですよー。

ネモがいないことに気付いたのが書いてしばらくしてからだった。そうだよネモはネメアがバロルをあれするときにネコさんにされちゃったのですよ。