5 ―無機質な夢を見続ける人形―

 

 

 

「『パンドラの箱』、有名な話だから知ってるよね?」

 音もなく開かれていく扉を背に、振り返ることはしない。軽くかけられる声にも反応しない。

 しかし、小剣を握る力をぐっと強める。

「パンドラが好奇心に負けて開けてしまった箱の中には、様々な災いが詰まっていた。しかし慌てて閉め

たために一つだけ箱の中に残ったものがあった。何だか分かるかい?」

 その声はいつもと変わらぬ口調で問いかける。素直は答えない。背を向け軽く下を向き、決して振り返

ろうとはしない。

「答えは、希望。だと言われているね」

 声の主は扉を開けて部屋の中に一歩足を踏み入れた。狭い部屋の中、彼と素直の距離は3mもない。

「でも、本当は違う。正確に言うとするなら間違ってこそいないが正しくない。箱の中に残っていたのは―

―」

「絶望の未来視の災い」

「正解。知ってるじゃないか」

 声の主は一際楽しそうにそう言った。

「知ってるなら言ってくれればいいのに。一人で喋ってるのも結構寂しいんだよ?オンリーでロンリー……

なんて」

 数秒の沈黙の後に、自分で言った台詞に首を傾げる。

「いやあ、実はこう見えてあまり気持ちに余裕は無いんだよ。まさか君自身が『パンドラの箱』を開けてし

まうとは思いもしなくてね。他の子達ならともかく、君が――」

「このような行動をとるとは思わなかった」

「そう。一番可能性は無いと思ってたんだけどなあ。自分でもそう思ってるのかい?」

 その問いかけには答えない。

「無知であるということは愚かなことではなくて、幸せなことだ。普通の人間にとってはね。人は絶望の未

来を知らないことで、未知であるが故に希望を持って明日を迎えることが出来る。それなのに君はパンド

ラの箱を開けてしまった。絶望の未来を知ってしまおうというのかい?」

 やはり、答えない。

「そういうことをする性格じゃない、とタカを括っていたのは失敗だったみたいだね。まあ仕方がない。そ

れで、何が知りたいんだい?」

 口調はいつものまま、彼は歩み寄る。素直は更に剣を握る力を強める。背後に立たれ、それでも後ろ

は向かない。その態度にどこか楽しそうに頷いて、声の主は素直を追い越してパソコンの前へ。

「災いの全てを解き放ってでも、君は何が知りたかったんだい?」

 コンソールを前に、声の主――月光館学園理事長・幾月修司は口の端を上げて笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に11時を過ぎた。

 良い子は眠る時間。それなら天田は悪い子なのだろう。眠る気など今のところはない。

 影時間になるまで起きている気もまたないが。

 ラウンジに人はいなかった。10時も過ぎればメンバーもみな部屋に帰っていく。この時間帯ならいなく

ても当然だ。天田はというと部屋に戻る前に入れたコーヒーにミルクを入れ忘れたことをようやく気付いて

入れに来た、という寮のメンバーには絶対にばれたくない(特に順平には)状況にあった。ブラックで飲ま

ないと子供っぽいとは思うのだが、人の目が無いところではまあ少しくらい……などと気を抜いてしまっ

ている姿は誰にも見せたくは無い。

 実はコーヒーが異常なほどに苦いのは、インスタントコーヒーの粉を入れすぎたことが原因だということ

を天田は知らない。

 カウンターの奥で食器棚を探ってフレッシュを探す。出来るだけ静かに。誰かが来るとは思えないが、

しかし誰かが来たときに言い訳するのは嫌だ。

 耳をそばだてながら静かに棚を探る、と。

 鍵を捻る軽い音、そして扉の開く重い音がした。方向と重さから、玄関の扉ではないか。

 ――玄関?誰か、来たのかな。

 しかし鍵を使っているということは、理事長か誰かだ。何か用事があってきたのかもしれない。そう思う

と天田はカウンターの奥でそっと身を潜め続けることにした。やはり子供っぽい行為が露見したくはな

い。

 しばらく待っていると足音は2階へと消えていった。

 足音が小さくなって、天田は忍び足で階段のほうへと向かい、階段の上を眺めた。しばし待つと、足音

が2人分に増えた。――2人分?

 どこか首を捻るところがあったが、ひとまず天田は部屋にコーヒーを持ち帰ることを先決とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「未来ではなく、過去を」 

 しばらくの沈黙の後に、素直が答えた。

「過去を知るために。今まで影時間の闇に隠されてきた全ての事象を。知ろうとしなかった罪を」

 謡うように。

「10年前に、あの橋の上で何が起こったのか」

「あれは忌々しい『事故』だった」

「何を、起こしたのか」

「……どこまで知っているのかな」

「知らない。少なくとも、『現実に起こったこと』は」

 剣を握る力が緩む。試すような視線を外さない幾月に、素直はガラス玉のような無機質な目を向けた。

しかし、そのガラス玉には曇りがある。

「『分かる』のは、あの時僕に起こった『何か』。言葉にできない感情」

 自分でも驚いている。受け手としての会話ではなく、自身が語り手となっている今の状況に。自分は、

ここまで自分のことを話すことができたのか、と。

「提案したい」

 幾月は表情を変えぬまま。眼鏡の奥の目の色は、光の加減で見えない。

「このまま、何もなかったことにして過ごすことはできないかな?あと少しだけこの『特別課外活動部』の

仕事さえこなしてくれればそれでいい。全てが終わった後に私がきちんと説明しよう」

 空気は季節以上に冷たく、そして乾いている。何だか瞬きがしにくい、と心の端で思った。

「できない」

 それでも、目を閉じることは、もうできなかった。

「……そうか、残念だよ」

 簡潔な答えを聞いて、幾月は心底残念そうにため息をついた。

「このまま、何も知らず。無知なままに『お役目』を勤めていてくれさえいれば、それだけで。それだけで

君は新世界の創造という偉大な事業を私とともに成し遂げることができたのに」

 新世界、突然出てきた眉唾物のその単語に素直は表情に出さないまま心の中で首を傾げた。

 その一瞬。スーツの影で左手がかすかに動く。

「――アイギス」

「はい」

 コントローラーの操作とともに、扉の影にあったもう一つの気配が動いた。

 無機質な瞳が命令する主の姿をかすめ、そしてターゲットたる素直の方に向けられる。

「アイギス」

 素直は彼女の名を呟いた。

 いや、助けを呼んだのかもしれない。心の中で、彼女に救いを求めたのかもしれない。

 しかし、彼女の瞳はそれを写さない。

 素直は右手の小剣をぐっと握った。

 握って、そしてふっと体の力が抜けた。

 

 ――ああ、そうか。

 

 僕が彼女に刃を向けることは、できない。

 

 目の前にまで彼女がやってきて、その無機質な青色の瞳を見たとき、素直は無意識に懐かしさを覚え

た。

 そして下腹部に重い衝撃を一瞬だけ感じて、次には何も感じなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パンドラの箱の底に残ったのは「絶望の未来が見えてしまう」災い。絶望の未来を知らないから、人は未来に希望を持つことができる。

未来が不可視であるからこそ、人は無謀に歩くことができる。

だから人は馬鹿なんだ、って話(え(笑

実はパンドラの箱の話はうろ覚え。

 

アイギスが好きだけど、アイギスにちょっとした(?)ことをさせます(酷

そして、なによりも。結局幾月さんのダジャレはいいものが浮かばなかった。結局流れに身を任せました。センスの無さが窺えるぜ(涙

2007/03/17

 

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