4 ―虹の麓には宝物があった―

 

 

 

 その日その時間にゆかりが自室でノートパソコンの前にいたのは、偶然だったのか必然だったのか。

 それは彼女の人生においては奇跡にも等しいことだったのかもしれない。

 

 

 

 テストの結果も出てようやく羽を伸ばせる――とは言っても真に羽を伸ばせるのは次の満月を越えた

後なのだが、少しくらいはいいではないか――と、自室でパソコンをいじっていたのは本当に気まぐれ。

気晴らしの方法にネットサーフィンだなんていつもと違う方法をとっていたのは偶然のこと。

 ゆかりにその奇跡が訪れたのは11時をかなり過ぎた頃で、もう電源を落とそうかと思っていた時だっ

た。それは前触れもなく唐突に。

 やけに重たい動画ファイルがゆかりのパソコンのもとに送られてきたのだ。

「うわっ、何コレ……」

 スパムかと判断して即座に削除しようとマウスに手を伸ばす。

 

 ―――Title: しんじつづけて

 

 その手が、止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アイギスは与えられた自室で一人思考を続けていた。

 それは今回の中間テストにおける自身の反省点――ではない。それは確かに重要だが、アイギスに

とってそれは「最も重要なこと」ではない。

 アイギスにとって最も重要なのは「シャドウの排除」そして――「彼の傍にいること」

 前者の理由は明快。アイギスはそのために生み出されたからだ。

 では、後者の――彼の、素直さんの傍にいるというのは?

 これらはアイギスのレーゾンテートル、なければアイギスはただの動く人形。

 そしてアイギスは造物主たる人間によってそれを与えられた存在。

 与えられた命に従うのが機械たるアイギスの生きる証。

 

 ――しかし、アイギスの中には明らかに本来の存在理由から逸脱した使命感がある。

 

 数日前に彼に問われた言葉を反芻する。

 

 あの時、何があったのか。

 あの時、私は、何をしたのか。

 あの時、私は、何を思ったのか。

 

 

 

 ・

 ・・

 ・・・

 

 影時間、満月、ムーンライトブリッジ、シャドウの暴走、人々を襲う影、反転する視界、

 炎上する橋上、転倒している車、破壊の後、棺桶と死体のみが支配する世界、

 倒れている人、夫婦と思しき若い男女、赤く染まる視界、

 

 血だまりの中、月光に照らされる機械のボディ。

 相対するは全ての影を支配する死神の黒衣。

 

 立ち尽くす子どもの、空虚な瞳。

 

・・・

・・

 

 

 

「ああ」

 どうして、どうして一番大事なはずのメモリーが欠落しているの。

 いいや、コレは欠落じゃない。だって確かに存在はしている。アイギスの欠片の中に残っているのに、

どうしてもあと少しが手に届かない。

 そう、アイギス自身がそれを取り戻すことを、恐れている。

「取り戻さなくては」

 そう、それでもアイギスは取り戻さねばならない。それがアイギスに与えられた存在意義。恐れを持た

ず、ただ前に進むことこそがアイギスが存在する理由。アイギスは人に有って人に無いものを持つ機

械、だからアイギスは恐れてはならない、アイギスは彼らのために在らねばならない。

 そして恐れを持ってはならないと同時に、彼に乞われたことに応えなければならない。

「私は機械。自身の『感情』に振り回されることは許されない、有り得ない」

 そう、だからアイギスは取り戻さねばならない。アイギスに選択肢はない、望まれたことに応えること

がアイギスの存在価値。

「私は―――」

 

 

 

 ――・・ ・・・ ・ ・

 

 

 

 激しいノイズと共に、アイギスに命令が下された。

 ああ、これでアイギスは難しく考えることは必要ない。恐れる必要もない。

 ただ、命じられたことに従えば、それで。

 

 ――了解、しました。今すぐに、そこに。

 

 ――命じられるがままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 乱雑に詰まれた紙束やファイルの中をかき進み、その部屋に唯一あったコンピューターのスイッチを入

れる。意外にもセキュリティーは甘く、全く妨害要素はない。すんなりとデータの保管してあるフォルダを

開くことができた。

 あの事件の日付がつけられている一つのデータファイルを開く、目の前に広がるのは砂嵐の中に見覚

えのある顔。

『―――の記録―…、心あ―人の目に触―ることを…願いま―』

 ぞくり、と背筋が震えた。

 見覚えの、聞き覚えのある映像と音声。しかし必死な表情で告げられるその声は――、その言葉は。

『この実――…行われ―べきじゃな――た…。だから私は、強引に実験を中断―た』

 岳羽が信じ続けていた彼女の父親の姿が、そこにある。以前に見せられたものの記憶とは食い違って

くる映像の台詞、それは素直が求めていたこと以上のもの。こんなにも簡単に、こんなにもすぐに、こん

なにもあっさりと、伝えられていく。

『しかし…そのせいで、飛散―たシャドウが後世に悪影響を及ぼす―は間違いない―ろう。でも、こうし

なければ…世界の全―が、いま破滅したかもしれない…』

 

 ――これ以上は、

 

 これ以上聞いては、

 

 これ以上聞けば、

 

 聞きたく、ない。

 

『頼む、よく聞いて欲しい…』

 

 聞きたくない、でも、聞かねばならない。

 

 歯の奥がかみ合わない。

 心臓の音が早い、鼓動が聞こえる、二重に重なる心音が、ドクンドクンドクンドクンと不調和音を奏でる。

 

 ――僕たちは、これを、聞かなくてはいけない。

 

 もう、知らないままではいられない。

 

 

 

『散ったシャドウに触れてはいけない!』

 

 

 

 溢れそうになる唾を飲み込んだ。すうっと腹が冷えていく感覚。

 ただ静かに言葉を聞く。

 

 

 

『あれらは互いを食い合い1つになろうとする…。そしてそうなれば、もう全てが終わりだ!』

 

 

 

 内に潜むもう一つの心臓が高鳴った。

 

 

 

『もう一度言う…、散ったシャドウに触れてはならない!』

 

 

 

「もう、遅いよ……」

 震えた声で呟いた。歯がかみ合わない、呼吸がもどかしい。

 

 素直も、また内なる者も、誰も望んでいないのに唇の端が自然と上がった。

 歓喜に震えているのは自分たちではない何かだ。

 

 歯と歯が音を立てている。寒い、怖い、時間が止まればいいのに。

 

 これが、今まで拒んできた知ることを望んだ結果か。

 

 ゆっくりと息を吐いたと同時に、下から足音が聞こえてきた。上に上がってきている。ゆっくりと、しっか

りと、確実に近づいてきている。

 戸惑い、しかしすぐに目の前のコンソールに手を滑らせる。ファイルを閉じて、それを有るべき人の手元

に戻す。急いで彼女の元に送ろうとして、手が止まった。猶予はない。思考は一瞬、伝えたい言葉をタイ

トルに乗せて、漢字変換の間も惜しんでそのままファイルを送信した。どうか、あれが彼女の想いに応え

てくれるといい。

 作業を終えたときにはもう、足音は扉の向こうまで来ていた。傍に立てかけておいた小剣に手を伸ば

し、片手にしっかりと握り締める。

 

 ――結局、本当に知りたかったことは分からなかったな。

 

 扉に背を向けたままの素直の背中に、ゆっくりと開かれた扉の間から差し込む夜の光が照らされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

折角ウェブ上という環境なのだからと思い、ちょっと色で遊んでみました。

コンピューター関係の描写に関してはかなり逃げています。大体パンドラの箱と寮の回線が繋がっているのかどうか(苦笑

2007/01/07